花巻ばやし ―― 小太鼓、大 太 鼓 、提灯
大太鼓と小太鼓が相互に調子を出し、それに横笛と三味線が唱和する、京都祇園ばやしの流れを汲み優雅で情感あふれる花巻ばやし
花 巻 ば や し ―― 小 太 鼓 、 大 太 鼓 、 提 灯
ツドーン
ドット ドーン
提灯
上で1拍 決め
テーン
下に1拍 決め
テーン
ドン ドン テン テン ドン ドン テン テン
ドーン
テーン
テーン
ドット ドーン
ツドーン
「 ヨ⌒イ―ー
(小)
締太鼓 右
左
ヨ⌒イ―ー
ハ ―― イ ヨ~
右振
右振
左
両手かざす
(ドッコイ)
右
左
左振
小
テーン
大
大太鼓 右
左
」
右
ドット ドーン
ドット ドーン
ツドーン
ツドーン
テーン
テン テン
(カッ・・ カッ・・)
ドン ドン
テーン
テーン
ドーン
(カッ・・
カッ・・)
は
ま
で
縁
振りかざ
して打つ
( と
テーン
ドン
ドン
提灯
テン テン
ドン ドン
ドーン
テーン
テーン
ドン ドン
テーン
こ
ドン ドン
ろ
は
テーン
な
ん
ぶ
の
テーン
な
ドーン
き
テーン
「ドッコイ」
テーン
ドン ドコ
ドン ドン
(小)
締太鼓 右
左
右振
右
ドン ドン
左
左
打た
ない
小
テーン
大
ドン ドコ ドン ドン カッ
大太鼓 右
左
縁
お ~ ~ と
に
き ~ こ
打た
ない
テーン
テーン
ドン ドン ドーン
(カッ・・
カッ・・)
ドン ドン
え
い
い
や
し
さ
れ
テーン
の
~
か
テーン
テーン
ドン ドン
た
ま
つ
り
の
さ
テーン
テーン
ドン ドン ドーン
(カッ・・
カッ・・)
ヤンレ
や
に
ぎ
か
さ
大太鼓と小太鼓が相互に調子を出し、それに横笛と三味線が唱和する、京都祇園ばやしの流れを汲み優雅で情感あふれる花巻ばやし
)
(
(
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(
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)
花巻の祭り囃子
花 巻 ば や し
≪由来≫
花巻ばやしの由来は定かではありませんが、すでに江戸時代には行なわれていたらしく、
北松斎(きた しょうさい)が花巻城主の時代、文禄年間1592~1596に若侍たちによって
花巻まつりが始められ、そこに大太鼓や小太鼓、笛、三味線が一団となったお囃子が入っ
たのが始まりともいわれます。
大太鼓と小太鼓が相互に調子を出し、それに横笛と三味線が唱和する、京都祇園ばやし
の流れを汲み優雅で情感あふれる花巻ばやしとともに、各町内の祭師と呼ばれる山車設計
者が装飾を凝らして製作した山車が町中をゆったりと練り歩く花巻まつりは、城下町の名
残をほうふつとさせます。
≪伝承≫
花巻ばやしは、昭和35年(1960)に花巻囃子保存会が結成され、花巻市無形民俗文化財に
も指定されましたが、そこに至るまでには、同保存会当初の会長(故)滝田国太郎氏の多大
な功労がありました。
滝田国太郎氏は、当時、花巻史を調査していた人から「祭りばやしが以前のものとは
違っているんではないか」との指摘を滝田国太郎氏は受け、確かに各町内ごとに囃子が
違っていたことから、では、正調の囃子はどんなものかと調査に奔走した。しかし、古の
花巻ばやしを知っている人は尐ないく、まして演奏できる人は、もっと限られていた。当
時わずかに残っていた花巻芸者たちに会って、演奏してもらったが、十分な施設もなく、
テープに録音するため学校の中庭を利用したりと苦労した、とのこと。
昭和十年に音楽家の故木村清氏が、同十三年に故武田忠一郎氏が、それぞれ花巻ばやし
を採譜し記録していたことは、花巻ばやしの統一に役立ちました。現在残っている譜面は
次の二つです。
(A) 木村清氏 ― 昭和十年/及川雅義氏から依頼され、途行中の山車から採譜
― 及川雅義著「伸びゆく花巻」掲載
(B) 武田忠一郎氏 ― 昭和十三年/お座敷で採譜
― 仙台中央放送局監修「東北の民謡 第一巻」掲載
※ 本文書に添付の譜面は複写ですが、題字は滝田氏の筆によるもので、昭和63年(1988)
頃、滝田氏から花巻ばやしの大太鼓を教わった際に頂いたものです。題字で昭和37年と
なっているのは滝田氏の勘違いと思われます。
花巻ばやしには「進行囃子」と「裏ばやし」とも呼ばれる「停止囃子」の二種類があり
ます。裏ばやしは昭和44年に滝田氏によって同じく復活されましたが、昨今は、各町内の
打ち手が各々好き好きに打ち、次へ伝えているのが現況で、私が滝田氏から教わったのと
異なる点が有るのと、正しく採譜された資料が無いことから、本記述では触れません。
≪参考資料≫
以上の由来と伝承は、次を参考にしました。
「花巻市の文化財(復刻版)」花巻市文化財調査委員会編/復刻版1974(c)大和印刷株式会
社/原版第一集1959,第二集1960,第三集1961 他、 花巻図書館蔵書
≪花巻ばやしの課題≫
昨今、花巻まつりの山車で奏でる花巻ばやしは、“祇園の流れを汲み優雅で情感あふれ
る花巻ばやし”と言うのに反して、バタバタしていて、各町内でもばらばらに演奏するよ
うになってきている感があります。長い歴史の中で人が変われば演奏の機微も変化するの
はうなづけますが、本道から外れてしまい、「編曲」したような演奏では、もはや“伝
承”とは言えないでしょう。昭和30年代に比べたら現代は、とてつもないほどのノウハウ、
記録の媒体と方法、伝達の媒体と方法があります。にもかかわらず、滝田氏の功労による
伝承の道筋も、今また靄の中に消え、埋もれようとしています。精密に記録を残し、厳格
に伝承されることを望む次第です。
ばらばらな花巻ばやしに、なぜ、またなってきたのか…、その原因は、総じて、疎かな
稽古と未熟者による指導にあると思われます。古来日本の演奏における間とか呼吸という
ものや所作というものを知らないか、または気付かないままの未熟な者が指導に当たって
いるためでしょう。そのため、ウソでもやってしまえばそれが本当となり、年々粗末に
なってきています。
その具体的なものとして、次が主に挙げられます。
―― 大太鼓のドン・ドンと打つところを、若者はいきり立ったような掛け声を出
しながらバダッ・バダッと叩く。
―― 大太鼓を片肌脱いで鉄火ぶって叩いていたり、顎をしゃくり半口開けた若い
女が叩いていたり。
―― 小太鼓を打つ女児の手が充分にあがらないため、テン・テンと打てずに、
テ・テンと打つ。
―― 未熟な大太鼓は振り手が上手くできないから、ほんの「微妙な間」を半拍休
符にし、その次には半拍より楽な一拍休符で後輩に教え伝えられていく。
―― “大太鼓と小太鼓が相互に調子”を出すことは無視され、大太鼓が勝手にた
たきたいときに叩き、ときには小太鼓と一緒に叩き音を濁している。
―― 大太鼓小太鼓がドン・ドン・テン・テンと打てば山車もゆったり進むところ
を、ソリャッ!の掛け声に、バ・バン、テ・テンとくれば優雅は消し飛ぶ。
―― 行列で提灯を振る際、ス~ッ・ス~ッと振れずにヒョッコ・ヒョッコとやる。
提灯をわざわざ振るのは舞と等しい意味があるのに、その理解がなく、練習も
せずに単に段取りでやっているからでしょう。
―― 近年は横笛の講習会が開設され、小学校高学年をはじめとした多くの奏者が
増えた。いかんせん、笛のころびといった巧妙さには乏しく、鼓笛隊のよう。
―― 三味線は主に女子中学生が受け持つが、初めての1年生で一週間程度、3年
生でも3年間で×3の二十日前後の練習量でやっている。したがって、程度は
そのくらい。
等々
年配者や先輩から厳格な指導を受け、
周到に稽古を踏み、先達に認められて
初めて演じ手に成れる。歴史文化財的
な民俗芸能ならば、そうして伝承して
いくのでしょうが、年に一度の3日間
開催される花巻まつりでの花巻ばやし
の場合は、実際のところ、そこまで
やってはいられないのが正直なところ
でしょう。
前述、具体的な粗末な点を記しました
平成13/2001年の山車風景
が、反面、これ等は、それが正されれば
市の観光行事=夜のパレード
正統な芸能と称せるでしょう。また、正
(花巻まつりパンフレット掲載)
すべき内容も、誰某に師事し修業を積ま
(山車は里川口町)
なければならないなどと云う、大げさな
ものでもありません。花巻ばやしの正統な伝承と文化的な発展は、先人の記録と先達の記
憶を尊重し、謙虚に考察して新たに系統化し、適切な媒体で記録することにかかっている
と考えます。花巻の文化、花巻ばやし、そのキーワードは次のとおり:
大太鼓・小太鼓が∥調子を相互に∥出し、笛・三味線が∥調和∥して祇園調をただよわせる
∥優雅∥で情感あふれる花巻ばやしとともに山車が町中を∥ゆったりと∥練り歩く
∥城下町の名残∥をほうふつとさせる
昭和30年代、伝承が乱れ失われそうになった花巻囃子を復活統一させようと奔走し、大
きな功績を残した滝田国太郎氏の趣意を振り返って、花巻人、祭り好き、誰でもいいです、
花巻囃子に関心のある方が真摯に、花巻囃子の正確な統一、即ち正調の記録・保存と、周
到で十分な稽古の徹底を通じて、花巻囃子の文化的な発展と未来への伝承を進めることを
望みます。
お囃子の練習風景
笛、三味線、太鼓、各々個別の練習
後に付き添いが提灯をもって参加し
総打合せをする (里川口町)
町内会の山車
日中の自由運航
市の観光行事のパレードとは別に
各町内会が独自に行なう (里川口町)