共犯の本質論
共犯の本質とは、共犯が何を共同するのかという議論とされており、犯罪共同説と行為共同説がある。前者は、複数人が1 つの犯罪を共同して実現するものであると見る立場であり、後者は各人が各々の犯罪は他者を利用しつつ実現するものであると見る立場である。
かかる共犯の本質論とは、結局のところ?(特に狭義の共犯について)共犯独立性説か共犯従属性説かという対立であり、?(特に共同正犯について)行為共同説か犯罪共同説かという対立である。
共犯の本質論
共犯の本質とは、共犯が何を共同するのかという議論とされており、犯罪共同説と行為共同説が
ある。前者は、複数人が 1 つの犯罪を共同して実現するものであると見る立場であり、後者は各人
が各々の犯罪は他者を利用しつつ実現するものであると見る立場である。
かかる共犯の本質論とは、結局のところ①(特に狭義の共犯について)共犯独立性説か共犯従属
性説かという対立であり、②(特に共同正犯について)行為共同説か犯罪共同説かという対立であ
る。
1 両説のちがい
まず①について近代学派(新派)は、主観(行為者の危険な性格)を重視する。つまり、共犯
者も、行為者の危険な性格の表れという点で...