今回、私はシェイクスピアの「リチャード三世」を本で読んで、人間としてのリチャード三世について考察した。そして、文学史の中でも稀に見るほど露骨な悪である彼に、なぜ、観客は魅了されるのか、また、果たして観客の彼に対する感情は、物語を通してどう変化するのか、ということも併せて考察した。
先述したように、彼の人間性を一言で表現すれば、迷うことなく「悪」である。実の兄を陥れ、幼子を惨殺し、利用した家臣をゴミのように捨てる彼の姿はまさしく悪である。しかし、この見方はあくまで巨視的な分析によるものであり、微視的な分析をすれば、「悪」である彼の中に潜む悪とはまた別の性格の人間性が見えてくる。また、彼が犯した様々な罪の動機というものは一体何であったのだろうか、単に自分の頭上に王冠を置きたかっただけ、という動機であったのだろうか。
今回、私はシェイクスピアの「リチャード三世」を本で読んで、人間としてのリチャード三世について考察した。そして、文学史の中でも稀に見るほど露骨な悪である彼に、なぜ、観客は魅了されるのか、また、果たして観客の彼に対する感情は、物語を通してどう変化するのか、ということも併せて考察した。
先述したように、彼の人間性を一言で表現すれば、迷うことなく「悪」である。実の兄を陥れ、幼子を惨殺し、利用した家臣をゴミのように捨てる彼の姿はまさしく悪である。しかし、この見方はあくまで巨視的な分析によるものであり、微視的な分析をすれば、「悪」である彼の中に潜む悪とはまた別の性格の人間性が見えてくる。また、彼が犯した様々な罪の動機というものは一体何であったのだろうか、単に自分の頭上に王冠を置きたかっただけ、という動機であったのだろうか。
物語の中での彼の特徴として、身体的な特徴というものがある。彼は冒頭の独白の中で、「この俺は―美しい均等を奪い取られ、不実な自然の女神のぺてんにかかり、不細工にゆがみ、出来損ないのまま月足らずでこの世に送り出された。そんな俺が無様にびっこを引いて通りかかれば、犬も吠えかかる―」と...