原爆が絶対悪ならば、その製作者も絶対悪なのだろうか。勿論、製作者が全ての責任を負っているとは思わない。しかし、原爆による人体への被害を考えると、そしてその被害に遭った人々を思うと、にっこりと笑って「そういう事もあるよね」などとは、地球がひっくり返っても言えない。誰が悪いのか。そんな物を作り出した人物が悪いのか、それとも大量殺戮兵器として利用した人物が悪いのか。良いか悪いかと簡単に選り分けられるようなスケールの小さい問題でない事は解っている。しかし、何かに決着をつけなければならない日がくるのだろう。その時世界はどのような対応を取るのか。よく耳にするのは、『原爆は人類が生み出した最強最悪の兵器だ』というものである。これは人類でひと括りにして良い問題ではないはずだ。核の制作が未だ続いているというこの現状が、ただの責任逃れの言葉だと実感させてくれる。戦争したがりのアメリカには調度良い玩具なのかもしれない。
新たに展開する核問題:人類は核と共存できるか
私は以前、『インフィニティー 無限の愛(96米)』という映画を観た事がある。一人の物理学者の半生を描いたもので、その名の通り主人公と結核にかかってしまう女性の恋愛物映画である。ここで登場する科学者こそ、「マンハッタン計画」と呼ばれたアメリカの原爆開発のメンバーで、後にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンなのだ。原爆開発の裏事情を細かに取り上げているという口コミが興味深かったので観たのだが、映画自体は平凡で目にとまったのは、(彼女の入院している)病院に漢字の習字が飾ってあった事くらいだった。彼、リチャード・ファインマンはとてもユニークな...