私たちは頭や心の中で思ったことを「言葉」として口に出す。しかし、頭や心の中で思った全てのことを言葉として伝えることはとうてい出来ない。そして、それを文章にするには、さらに言いたいことをその通りには伝え切れなくなる。現に今、私は何を書いていいか迷っている。
ではなぜこのような仕組みになるのか考えてみよう。鈴木由次郎博士の通釈による言語無力説によると「言語はいくら詳しくこれを述べても心の中に思っているところを遺憾なく述べ尽くすことはとうていできない。」とある。私たちの心や頭では、思っていることは、言葉や映像で表されていることがある。しかもその言葉や映像は、断片的で、繋がっておらず、内容もさまざまな方面へ急に変わったり、また戻ったり、途切れたりする。だからそれをそっくりそのまま言葉や文章にすると、伝えたいことが分からなかったり、ほぼ意味の無い文章になったりしてしまう。これは、私たちの頭の中では今までの記憶やさまざまな体験が詰め込まれているため、そのような断片的なものでも理解できているのであるが、言葉にして伝えようとすると、その人の今までの経験やその間思っていたことも踏まえて伝えなければならないため、単純に考えて、その人の年齢以上の年数がかかってしまうのである。
言語無力説とその解決法
言葉というものは非常に難しい。
私たちは頭や心の中で思ったことを「言葉」として口に出す。しかし、頭や心の中で思った全てのことを言葉として伝えることはとうてい出来ない。そして、それを文章にするには、さらに言いたいことをその通りには伝え切れなくなる。現に今、私は何を書いていいか迷っている。
ではなぜこのような仕組みになるのか考えてみよう。鈴木由次郎博士の通釈による言語無力説によると「言語はいくら詳しくこれを述べても心の中に思っているところを遺憾なく述べ尽くすことはとうていできない。」とある。私たちの心や頭では、思っていることは、言葉や映像で表されていることがある。しかもその言葉や映像は、断片的で、繋がっておらず、内容もさまざまな方面へ急に変わったり、また戻ったり、途切れたりする。だからそれをそっくりそのまま言葉や文章にすると、伝えたいことが分からなかったり、ほぼ意味の無い文章になったりしてしまう。これは、私たちの頭の中では今までの記憶やさまざまな体験が詰め込まれているため、そのような断片的なものでも理解できているのであるが、言葉...