筆者はこのレポートで、我々地球人が古代以来抱いてきた宇宙人観を取り上げ、それについて検討した後、現代における地球人と宇宙人の関係についてもふれたいと考えている。地球外に文明が存在し、それと交信しようという考えは、おそらく文明発祥以来、我々人類、少なくともその中の思想的に指導的な立場にある知識人たち、が考えてきたことである。我々は空を見上げたとき、無数の星を目にする。そのときにもしかしたら我々は孤独な存在ではないのではないだろうかという考えが浮かぶのは自然なことなのだろう。筆者がこのレポートにおいて論じようとすることは、いわば人類のそのような感情の歴史をたどることなのである。
そのような思想の萌芽は、すでに古代ギリシアに見られる。紀元前四世紀頃、哲学者エピクロスは、自分たち以外にも「世界」があり、自分たちの世界は広大な宇宙の一部にすぎないと述べ、自分たちの世界が全宇宙であるとするプラトンやアリストテレスなどと対立した。中世においては、コペルニクスやガリレオの業績が、地球外文明思想を強固にしたことはいうまでもない。地球が宇宙の中心でないのなら、よその星にも生命や文明があってもよいということになる。地球外文明思想は、古典的な「人間中心主義」とは対立関係にある。天文学が発展し、月や火星のことが分かったことも、より具体的に地球外文明を議論する基礎を与えた。天体望遠鏡は月にもクレーターや山があることを示し、地球ととんでもなく違った世界ではないことを教えた。
筆者はこのレポートで、我々地球人が古代以来抱いてきた宇宙人観を取り上げ、それについて検討した後、現代における地球人と宇宙人の関係についてもふれたいと考えている。地球外に文明が存在し、それと交信しようという考えは、おそらく文明発祥以来、我々人類、少なくともその中の思想的に指導的な立場にある知識人たち、が考えてきたことである。我々は空を見上げたとき、無数の星を目にする。そのときにもしかしたら我々は孤独な存在ではないのではないだろうかという考えが浮かぶのは自然なことなのだろう。筆者がこのレポートにおいて論じようとすることは、いわば人類のそのような感情の歴史をたどることなのである。
そのような思想の萌芽は、すでに古代ギリシアに見られる。紀元前四世紀頃、哲学者エピクロスは、自分たち以外にも「世界」があり、自分たちの世界は広大な宇宙の一部にすぎないと述べ、自分たちの世界が全宇宙であるとするプラトンやアリストテレスなどと対立した。中世においては、コペルニクスやガリレオの業績が、地球外文明思想を強固にしたことはいうまでもない。地球が宇宙の中心でないのなら、よその星にも生命や文明があってもよいという...