1、神話を演繹とする慣習、その振る舞いと社会
世界は規則で満ちている。ここで言う規則とは人と人の関係、ひいては社会を円滑に運営する為の暗黙の了解・不文律を指し、具体的に提示するならば風習や慣習の事である。慣わしと言うのは古来の言い伝えや教えによって伝承される。そして殆どの場合その規模の大小に関わらず、コミュニティーの中で形成される慣わしとは物語や神話を媒介(ないしプロトモデル)として伝播されるものである。つまり神話こそ人社会の慣習の原典であり、文化形成の土壌を肥やす堆肥であるのだ。本レポートでは神話と言う概念が現代の人社会にどのように息づいているのか、そして人類の文化形成にどのようにアプローチしているのかを主軸に据えて考察したい。
留意しておきたいのは、「神話はそれ自体で文化そのものにはなりえない」という事である。神話は文化の輪郭と発展の道筋を示す潤滑油であるが、文化そのものではない。神話それ自体が一つのコミュニティーの原典となることは無いのだ。これは「神話が先か社会が先か」の命題である。つまり神話がまず存在してその後に人間社会が発生したのか、その逆に人間社会が先ず存在して社会を運営する一要素として神話が作られたのか、という問いだ。科学発展を文明発展の言代とする立場で見れば、この命題の鶏卵を分かつのは容易い。アダムとイブはすでに進化論によって否定されているからだ。つまり神話と言う概念はまずコミュニティーが発生した後に、その社会性を保持・促進する為に使用されるという事である。これは神あるいは霊的存在の是非を問うと言う訳ではない。実際として神話はそのような振る舞いをすると言う事を念頭に置く事が、体系的な現代神話の在り様の理解に繋がると思う。
さて、世界には種々多様な慣習が溢れており、とりわけ日本は日常の中に多くの慣わしを包含する国である。
「現代における神話について」
1、神話を演繹とする慣習、その振る舞いと社会
世界は規則で満ちている。ここで言う規則とは人と人の関係、ひいては社会を円滑に運営する為の暗黙の了解・不文律を指し、具体的に提示するならば風習や慣習の事である。慣わしと言うのは古来の言い伝えや教えによって伝承される。そして殆どの場合その規模の大小に関わらず、コミュニティーの中で形成される慣わしとは物語や神話を媒介(ないしプロトモデル)として伝播されるものである。つまり神話こそ人社会の慣習の原典であり、文化形成の土壌を肥やす堆肥であるのだ。本レポートでは神話と言う概念が現代の人社会にどのように息づいているのか、そして人類の文化形成にどのようにアプローチしているのかを主軸に据えて考察したい。
留意しておきたいのは、「神話はそれ自体で文化そのものにはなりえない」という事である。神話は文化の輪郭と発展の道筋を示す潤滑油であるが、文化そのものではない。神話それ自体が一つのコミュニティーの原典となることは無いのだ。これは「神話が先か社会が先か」の命題である。つまり神話がまず存在してその後に人間社会が発生したのか、その逆に人...