この作品を読んでいて感じたことは、武勇伝というジャンル、時代背景、宗教との関係、語り手のいる一種の見せ物として広まった点等、日本の「平家物語」によく似ているということだ。以下に、「我がシッドの詩」と「平家物語」を対比してみようと思う。まず、両作品の類似点について書く。まず、「我がシッドの詩」も「平家物語」も武勇伝の一種であり、シッド、アルバル・フェニス、アルフォンソ王、平清盛、源義経など、実在の人物を描いているという点で共通している。また、実際に起きた戦いや出来事を題材にしており、ノンフィクションに近いフィクションである。そして、武勇伝として、「我がシッドの詩」は騎士道を、「平家物語」は武士道を扱っている。主従関係や礼儀を重んじる点等、騎士道と武士道は互いに共通することが多くある。騎士道、武士道が物語の背景にあることによって、両作品には人間はこうあるべきという正義論や手本にすべき教訓的要素が含まれている。
第二に、作品の時代背景の類似が挙げられる。武勇伝であるために、当然両作品とも時代背景は戦乱の世である。「我がシッドの詩」ではモーロ人の侵入、イスラム教徒との対立、「平家物語」では平家と源氏との対立など、決して平和とはいえない時代が舞台となっている。だからこそ、両作品の主役は王でも天皇でも上級貴族でもなく騎士や武士であり、実力主義、下克上の風土がこのような武勇伝を生んだのだろう。特に「我がシッドの歌」では、ガルシーア・オルドーニェス伯、カリオーン公子兄弟などの上級貴族は臆病者、卑怯者として描かれており、実際に身分としては下級のシッドたちの軍勢にやりこめられてしまう。このような下級貴族が上級貴族をやりこんだり、身分を越えて上級貴族以上の富を得たりするという設定が、両作品が身分の低い一般民衆に広まり、今日まで語り続けられてきた理由の1つといえるだろう。
我がシッドの歌
・「我がシッドの歌」と「平家物語」の対比
この作品を読んでいて感じたことは、武勇伝というジャンル、時代背景、宗教との関係、語り手のいる一種の見せ物として広まった点等、日本の「平家物語」によく似ているということだ。以下に、「我がシッドの詩」と「平家物語」を対比してみようと思う。まず、両作品の類似点について書く。
まず、「我がシッドの詩」も「平家物語」も武勇伝の一種であり、シッド、アルバル・フェニス、アルフォンソ王、平清盛、源義経など、実在の人物を描いているという点で共通している。また、実際に起きた戦いや出来事を題材にしており、ノンフィクションに近いフィクションである。そして、武勇伝として、「我がシッドの詩」は騎士道を、「平家物語」は武士道を扱っている。主従関係や礼儀を重んじる点等、騎士道と武士道は互いに共通することが多くある。騎士道、武士道が物語の背景にあることによって、両作品には人間はこうあるべきという正義論や手本にすべき教訓的要素が含まれている。
第二に、作品の時代背景の類似が挙げられる。武勇伝であるために、当然両作品とも時代背景は戦乱の世である。「我がシッドの...