唐三彩は、白い素地に金属化合物(酸化鉄・酸化銅・コバルト)を呈色剤とし、酸化鉛を加えた釉薬をかけて低温で焼成したやきものである。唐三彩の素地には一般に白い化粧土が施されており、酸化鉄を主とした場合は褐色、酸化銅は緑色、コバルトは藍・青色に発色する。三彩とは厳密にこの褐色・緑色・藍色、そして透明釉のかかった地の白色を含めた4色もしくは3色を指すが、二色の場合の二彩、そして単色の緑釉・褐釉・藍釉なども広い意味での三彩の範疇に含める。白い素地の上に緑釉・褐釉・藍釉が美しく輝いた唐三彩は、中国陶磁器の中でも最も色彩豊かであるが、中国陶磁研究者の関心を集めるようになってまだ浅い。
日本が聖武天皇の政治を中心に天平時代が展開されていた最中、黄河流域にある洛陽・長安では、鞏県窯を中心に唐三彩が焼かれ始めた。大唐の都には貴族階級が生活し、唐三彩は彼らに奉納するため生産され、後世の出土も洛陽・長安周辺の王墓や貴族の墓の明器として副葬されていたものがほとんどである。鞏県窯では、イスラム世界との交易の結果イスラム陶器の多彩なデザインと色彩・それとは対象的な器形の素朴さ等の影響を受け、唐三彩が焼かれるようになる。唐三彩の釉薬は、1100〜1400度におよぶ火力を必要とする従来の青瓷や白瓷と異なり、700〜800 度の低火度釉である。中国では既に、高火度焼成において鉄を主成分とする黄色・褐色を呈する黄釉陶・褐釉陶、青瓷釉から鉄の成分を除去することによって透明な白釉・黄白釉が作りだされ、銅を呈色材とした緑釉陶を生産する技術も存在していた。さらに西アジアから伝承されたソ−ダ釉を鉛丹に替えて鉛釉を開発し、酸化炎の窯で焼いても、酸化して赤くならない胎土である純白のカオリン高嶺土の発見と結びつき、唐三彩の世界が開花するのである。
「初期唐三彩」と「盛期唐三彩」について、万年壷を例に挙げて考えてみたい。
唐三彩は、白い素地に金属化合物(酸化鉄・酸化銅・コバルト)を呈色剤とし、酸化鉛を加えた釉薬をかけて低温で焼成したやきものである。唐三彩の素地には一般に白い化粧土が施されており、酸化鉄を主とした場合は褐色、酸化銅は緑色、コバルトは藍・青色に発色する。三彩とは厳密にこの褐色・緑色・藍色、そして透明釉のかかった地の白色を含めた4色もしくは3色を指すが、二色の場合の二彩、そして単色の緑釉・褐釉・藍釉なども広い意味での三彩の範疇に含める。白い素地の上に緑釉・褐釉・藍釉が美しく輝いた唐三彩は、中国陶磁器の中でも最も色彩豊かであるが、中国陶磁研究者の関心を集めるようになってまだ浅い。
日本が聖武天皇の政治を中心に天平時代が展開されていた最中、黄河流域にある洛陽・長安では、鞏県窯を中心に唐三彩が焼かれ始めた。大唐の都には貴族階級が生活し、唐三彩は彼らに奉納するため生産され、後世の出土も洛陽・長安周辺の王墓や貴族の墓の明器として副葬されていたものがほとんどである。鞏県窯では、イスラム世界との交易の結果イスラム陶器の多彩なデザインと色彩・それとは対象的な器形の素朴さ等の影響を受け、唐三彩が焼かれるように...