現代人生活とカウンセリングについて考え、カウンセリングがどうあるべきか述べよ。
カウンセリングが今日盛んになってきているのは、様々な社会的・文化的な理由によるところが大きいと言われている。
現代は、地域社会の相互扶助体制が弱体化し、家庭も人間関係が冷め共同社会が解体する中、秩序に基づいた基本的な人間関係が形成出来ないなど子供たちの生活に色濃く反映し、更に不登校、引きこもり、ニート(職にも就かず学校にも行かない青年達)の激増し、また「ストレス社会」と言われ、年間自殺者は7年連続三万人以上を出した。この中には、インターネットで知り合った若い男女が、車の中の練炭などで集団死する「ネット自殺者」が急増し、今年は四月末までで59人とすでに昨年を上回った。また社会人の7人に1人はうつ病と言う社会状況である。一方爛熟した文明は、時間やエネルギーをもてあます人間像を生み、食べることに追われている時には問題すらなかったことが悩みの種になる。管理社会化が進むにつれて、個性的なエネルギーの発露は押さえられ、慢性的欲求不満に人は陥った中で主体性を取り戻そうとしても、アイデンテイテイは確立しておらず、何が本当の生きがいか見えてこない。このことが不安感と人間関係の慢性的飢餓感と結びつく。総じて自分が立つ安定した基盤、生活の大地が失われている感覚が現代人を被っていると考えられる。
こうした中で人間疎外のしわ寄せを端的にうけた神経症者、精神病者などに対する臨床が、往来の医療の常識を超えて心理・社会的アプローチを必要とするようになったことは言うまでもなく、現在カウンセリングが求められているのは、まさにこのような、社会生活における人間的問題のゆえだと言える。
それでは、「カウンセリング」がどのようにして現代の人間疎外に対処していけるのか。それは、「カウンセリング」を通じて抑圧され見失われている真の自己を再発見すること、自分の個性的スタイルや可能性を含めて、人間として全体的機能を回復することに中心的力点があると言える。とくに神経症的な傾向が強いほど、私たちは因襲や安定のために自らの可能性を制限し、あるいは自分自身を抑圧し、みないようにしている(防衛機制)。しかしカウンセラーの共感、理解等々に支えなられながら、ありのままの自己が表現されることによって、私たちは自己の深層、可能性に目覚め、全体的な適切な動きができるようになり、全身的生命が回復する、要はありのままの自分が生かされるようになると言って良い。
もちろんカウンセリングの営みは、とくに健康人に対する場合以上に記したことに限られることでなく、進路相談、適正相談、生活相談など、より実際的相談としてのカウンセリングは各領域で広く行われ、クライアントが自ら考え自らの道を見出してゆくそのプロセスには、やはり全人格的、生命的自己実現機能が多かれ少なかれ含まれており、このように広い範囲に渡った活動が「カウンセリング」といえる。
それでは実際的にカウンセリングがどうあるべきか、考察してみる。
⑴カウンセリングの出発点
誰かが悩みをもって来たときに、「その人かかえている悩みを尊重」し「私がこの人のために現在できる最善のことは何か」を、まず考える必要がある。
あるカウンセリングの勉強をした学校の先生が、カウンセリングルームを開いてカウンセリングをしようとした。するとある生徒が来て、その先生の教えている教科についていろいろと質問をしてくるので、仕方がないので教えてやり、話が終わったので帰るのかと思うと、「実は先生」とまったく別の自分の悩み
現代人生活とカウンセリングについて考え、カウンセリングがどうあるべきか述べよ。
カウンセリングが今日盛んになってきているのは、様々な社会的・文化的な理由によるところが大きいと言われている。
現代は、地域社会の相互扶助体制が弱体化し、家庭も人間関係が冷め共同社会が解体する中、秩序に基づいた基本的な人間関係が形成出来ないなど子供たちの生活に色濃く反映し、更に不登校、引きこもり、ニート(職にも就かず学校にも行かない青年達)の激増し、また「ストレス社会」と言われ、年間自殺者は7年連続三万人以上を出した。この中には、インターネットで知り合った若い男女が、車の中の練炭などで集団死する「ネット自殺者」が急増し、今年は四月末までで59人とすでに昨年を上回った。また社会人の7人に1人はうつ病と言う社会状況である。一方爛熟した文明は、時間やエネルギーをもてあます人間像を生み、食べることに追われている時には問題すらなかったことが悩みの種になる。管理社会化が進むにつれて、個性的なエネルギーの発露は押さえられ、慢性的欲求不満に人は陥った中で主体性を取り戻そうとしても、アイデンテイテイは確立しておらず、何が本当...