まず、はじめに置石をした者を「A」、速度超過した電車の運転士を「B」と仮定する。また、事故の原因として置石と電車の速度超過運転の両方の行為が同時にあったことと、それを行なったA・B両名には意思の連絡がなかったことを前提に、以下の2通りに場合分けをする。
?置石と電車の速度超過運転は、単独では脱線の結果は生じ得なかったが、重畳して脱線という結果を発生させた場合(重畳的因果関係)。
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思うに、構成要件は、違法類型として一般人を対照とした行為規範として機能し、かつ、責任類型でもあり、行為者に対する責任非難の前提となるものである。
とすれば、行為の当時、一般人ならば認識し得た事情および行為者が特に認識していた事情を基礎として相当性を判断すべきである(折衷説)。
確かに、行為者の認識を考慮するとことは客観的な因果関係の問題と主観的な責任の問題を混同しているとの指摘もあろう。しかし、相当因果関係説の趣旨が、適正な処罰を図るため行為者に支配可能な異常な経過をたどって結果が発生した場合の責任を否定する点にあるとすれば、このような支配可能性が行為者の認識に左右されるのは当然であり、また行為者の認識を考慮して相当性を判断することと行為を非難することは別のことである。
<因果関係>福知山線 脱線事故に関する考察
4月25日午前、約580人を乗せたJR宝塚線の快速電車が兵庫県尼崎市で脱線した。多くの犠牲者を出したこの事故について、以下、その法律関係を検討する。
まず、はじめに置石をした者を「A」、速度超過した電車の運転士を「B」と仮定する。また、事故の原因として置石と電車の速度超過運転の両方の行為が同時にあったことと、それを行なったA・B両名には意思の連絡がなかったことを前提に、以下の2通りに場合分けをする。
①置石と電車の速度超過運転は、単独では脱線の結果は生じ得なかったが、重畳して脱線という結果を発生させた場合(重畳的因果関係)。
②置石と電車の速度超過運転が競合して脱線という結果を発生させた場合において、それらの行為のいずれもが単独でも同じ脱線の結果を発生し得た場合(択一的競合)。
以下、この2つの場合について検討する。
①置石と電車の速度超過運転は、単独では脱線の結果は生じ得なかったが、重畳して脱線という結果を発生させた場合(重畳的因果関係)。
Aは置石をし、Bは電車を速度超過で運転し、結果として電車を脱線させているが、そもそもA・Bの...