「静かなるデフレ」を読んで

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    資料紹介

     山田氏の講義を受け、その著書である「静かなるデフレ」を読んで強く感じたことは自分でよく考えることがいかに大事かということである。僕たちが生きている社会や世間というものはとても不明瞭で、不完全な存在である。その中で流されながら生きることは居心地がよく、慣れると不感症になってしまう。大事なことは盲目的な一般大衆と呼ばれる人たちが全員イエスというときでも、疑って掛かりそれが本当にその通りなのか、間違いはないのかということを自分自身でよく考察してみることである。そうしなければ他人が驚くような大事は成し遂げられないし、みんながもし間違った方向に進んでしまおうとしているときに歯止めをかけることができなくなってしまう。
     僕は残念ながら愚かな一般大衆でいる才能は十分であるようである。他人との摩擦を避けるのを第一としながら生活しているようなところがある。政府が、デフレが経済成長に対する最大の敵であると言ったのを新聞で読み、デフレ=デフレ・スパイラルといった考え方を素直に受け入れてしまった。なるほど素直に見ればこの論理は筋が通っていそうである。しかし実際には経済はそんなに単純なことではなくデフレ下の成長も十分に達成しうることだということが分かった。世界には生活様式、賃金、成長スピードなど多くの点で日本とは異なったたくさんの国があって、長い年月を掛けて醸成され比較的安定した日本との関係もあればこれからお互いをより知り合おうといった国もある。日本の中でもバブルのときの遺産をまだ引きずってその影響に四苦八苦することもあれば、高度成長期から先人が積み重ねてきた預貯金額は1400兆円という莫大な金額である。ひとつのモデルで片付けることなどできはしないのだ。
     また政府の、デフレが百害あって一理なしというのも間違っていた。これは少し考えれば分かりそうなことである。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    社会人との対話による社会実践論
    山田 紳二氏
    静かなるデフレ
     山田氏の講義を受け、その著書である「静かなるデフレ」を読んで強く感じたことは自分でよく考えることがいかに大事かということである。僕たちが生きている社会や世間というものはとても不明瞭で、不完全な存在である。その中で流されながら生きることは居心地がよく、慣れると不感症になってしまう。大事なことは盲目的な一般大衆と呼ばれる人たちが全員イエスというときでも、疑って掛かりそれが本当にその通りなのか、間違いはないのかということを自分自身でよく考察してみることである。そうしなければ他人が驚くような大事は成し遂げられないし、みんながもし間違った方...

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