? 問題提起とそれに対する答え
世界の平和や世界の民族との協調のためには何が必要なのか。私は、異文化理解を図ることが大切だと思っている。異文化社会への理解が、自分の属する社会に基づいた自分のものさしで、異文化を見ていたことに気づかせてくれる。気づくことは歩み寄りのきっかけになり、自国文化の正当性への疑問をかんじることができるようになる。個人的なレベルでの意識改革はやがて集団的な意識改革につながる。文化とは概念・規則・意味など人間が生活する様式の基盤となっている事柄をさす。しかし、私が今回、注目しているのは宗教理解についてである。わたしたち日本人は宗教音痴と言われている。日本人は、明治以降の似非合理主義教育によって、「宗教的なものはみな迷信である、迷信は無視していい、科学を推進すればいいのである」として生きてきた。私自身も宗教というものを迷信としてとらえてきた。そんな私たちが自国の宗教を把握するためにも他国の宗教を理解することが必要である。他の国がどういう宗教を信じ、どういう信条うぃ抱いているのか認識しない限り、国際理解をはかることはできないのである。『政治学』の授業では北アイルランド紛争という具体例を通し「関係の政治学」を学びました。世界で最も民主主義が発達している国と言われるイギリスのもう一つの顔が北アイルランド紛争である。民族と土地、そして宗教という情念の三要素がからんだ紛争であり、死者3千を超えるというおびただしい血を流し続けている。カトリックとプロテスタントの宗教的な対立が要素となっており、それに付け加えて人種の違いが問題を複雑にしているのである。カトリック側は武力組織「アイルランド共和軍(IRA)」を作り対英テロを開始、一方のプロテスタント側も「北アイルランド防衛協会」などいくつかの武力組織をつくり、カトリック側と血を血で洗う抗争をつづけているのである。
宗教と文化
Ⅰ 問題提起とそれに対する答え
世界の平和や世界の民族との協調のためには何が必要なのか。私は、異文化理解を図ることが大切だと思っている。異文化社会への理解が、自分の属する社会に基づいた自分のものさしで、異文化を見ていたことに気づかせてくれる。気づくことは歩み寄りのきっかけになり、自国文化の正当性への疑問をかんじることができるようになる。個人的なレベルでの意識改革はやがて集団的な意識改革につながる。文化とは概念・規則・意味など人間が生活する様式の基盤となっている事柄をさす。しかし、私が今回、注目しているのは宗教理解についてである。わたしたち日本人は宗教音痴と言われている。日本人は、明治以降の似非合理主義教育によって、「宗教的なものはみな迷信である、迷信は無視していい、科学を推進すればいいのである」として生きてきた。私自身も宗教というものを迷信としてとらえてきた。そんな私たちが自国の宗教を把握するためにも他国の宗教を理解することが必要である。他の国がどういう宗教を信じ、どういう信条うぃ抱いているのか認識しない限り、国際理解をはかることはできないのである。『政治学』の授業では北ア...