日本国憲法第九条の成立過程
はじめに
占領期が講和以降の日本の安全保障を規定する上で、非常に重要な時期であったことも間違いない。米軍主導の占領軍に管理された敗戦国日本には、親米外交以外に選択の余地は残されていなかったのだが、その運命をむしろ歓迎し、積極的に親米外交を定着させようとしたのが、吉田茂などといった人物である。
本稿では、「戦争放棄・戦力の不保持」を宣言する憲法第九条の条文が、どのような過程を経て決まったのか、また条文にはどのような意味がこめられているのか、といったことを当時の日本の置かれていた状況などを考慮しながら、述べていきたい。
戦争放棄条項の動機
まず確認しておきたいのは、新憲法制定についても、圧倒的権力を背景にした連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーおよび占領軍の意向が大きく影響していたことである。1945年(昭和20)10月25日に政府によって設置された憲法問題調査委員会(松本委員会)の作成した憲法改正案には、「戦争放棄」の規定はなかった。よく知られているように、松本委員会の憲法改正案があまりに「保守的」であると察知したGHQは、自ら憲法草案を作成して、これを日本...