第1章 子どもと絵に関する研究
第1節 子どもと絵に関する先行研究
絵画と子どもに関する研究は、それほど多くはない。特にこの研究のような人間関係論的な研究は少なく、発達心理学的な視点の色濃いものがほとんどである。そのため、子どもの描く絵画自体に着目し、その特性を調べているものが多い。子どもは、自らの視覚的体験をもとに絵を描いているため、子どもの絵画を見ることは、子どもの認識のあり方を知る方法のひとつである。これによって、子どものものの捉え方がどのように発達してゆくかを検討することができるのである。
中でも、鈴木(1999)の研究は非常に興味深い。ここでも発達心理学の視点から子どもの絵画を分析しているのだが、特徴的なのは、子どもを未発達の存在として捉えず、子どもが成長することによって「喪失」してゆくものに着目している。
この研究では、大人が“子どもの絵っぽく”描いた絵と、本当に子どもが描いた絵を、保育者と学生に比較してもらい、どの作品が子どもの描いたものか当ててもらっている。また、それぞれの絵の特徴に合致したものを、「功緻性」「躍動感」「愛嬌のなさ」「やすらぎ」「幼さ」「わざとらしさ」に相当するいくつかの形容詞の中から選んでもらう。これによって、保育者が一般の人とは違う、どのような点に注意して子どもの絵を見ているかを知ると同時に、子どもの絵にあって、大人が似せて描く絵の中にはないものが明確にされた。
この結果、学生が「巧緻性」を「子どもらしさ」の基準のひとつとして見ていたが、保育者はそれを判断の有効な手がかりとしなかった。つまり、保育者は、子どもなりのじょうずさを評価する視点を持っていることがわかる。
はじめに
冒頭に突然ではあるが、ここで詩をひとつ引用したい。
子どもには
百とおりある。
子どもには百の言葉
百のことば
百の手
百の考え
百の考え方
遊び方や話し方
百いつでも百の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
百の喜び
発見するのに
百の世界
発明するのに
百の世界
夢見るのに
百の世界がある。
子どもには
百のことばがある。
(それからもっともっと)
けれど九十九は奪われる。
学校や文化が
頭とからだをバラバラにする。
そして子どもにいう
手を使わずに考えなさい
頭を使わずに考えなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ。
そして子どもにいう
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち
九十九を奪ってしまう。
そして子どもにいう
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にならないものだと。
つまり百なんかないという。
子どもはいう
でも、百はある。
これは、レッジョ・エミリアの教育者である、ロ...