中国史における11〜16世紀とは、どのような時代であったか。960年に趙匡胤が宋朝を成立させるも、その歴史は契丹族の遼、女真族の金、タングート族の西夏等、異民族との攻防の末に、金によって滅ぼされ、その後、モンゴル人の支配下に置かれる。その元朝支配の次に、中国を統治したのが中国文化の再興を明朝である。さらに言えば、この明朝の次に中国を支配した清は女真族と、まさにこの時代の中国史は中国民族にとって異民族との攻防に次ぐ攻防の歴史であった。その乱世にあって、政治改革に取り組んだ宋の時代の王安石の政策を見ることで、この時代に行われた政治改革の一端を論じていくことにする。
まず、宋の王安石の政治改革についてである。20歳で、即位した青年皇帝神宗は、遼や西夏との屈辱的な講和、財政難や党争などによる国政の乱脈を是正して、国威を内外に輝かそうと考え、頼むにたるものとして群臣中から王安石を抜擢し国政の改革に当たらせた。
中国史における11~16世紀とは、どのような時代であったか。960年に趙匡胤が宋朝を成立させるも、その歴史は契丹族の遼、女真族の金、タングート族の西夏等、異民族との攻防の末に、金によって滅ぼされ、その後、モンゴル人の支配下に置かれる。その元朝支配の次に、中国を統治したのが中国文化の再興を明朝である。さらに言えば、この明朝の次に中国を支配した清は女真族と、まさにこの時代の中国史は中国民族にとって異民族との攻防に次ぐ攻防の歴史であった。その乱世にあって、政治改革に取り組んだ宋の時代の王安石の政策を見ることで、この時代に行われた政治改革の一端を論じていくことにする。
まず、宋の王安石の政治改革に...