ソーントン・ワイルダーの演劇は、舞台上の虚構を単なる虚構として表現するのではなく、その内側に多くの人が興味を持って共感できる題材を選び、人生の断片を描くことによってワイルダーによれば「儀礼的で祭礼的な要素を伴う」まで高揚感を出し、大多数の人間の心に訴えかけることに重点を置いた。目の前で俳優が演じることで出来事が現在進行形で表わされて劇に活力を生み出すが、その内容は常識の逸脱するものではない。ただし、『わが町』では理想的な語りを舞台監督に託しているが、心から心への思想の伝達は単なる説明から神話の次元まで達するので想像的な語りは不可欠としている。
『わが町』は、第一巻「日常生活」、第二巻「恋愛と結婚」、第三巻「死」から成り、平凡な町に住む平凡な人々の人生を、ギブス医師の家とウェブ編集長の家に焦点をあてて描いている。第一幕は「幕なし。装置なし」で始まり、観客の見ている前で舞台監督がテーブル、椅子といった最小限の小道具類を必要に応じて配置する。そして、日の出前のグローヴァーズ・コーナーズの様子を語り始め、ギブス家とウェブ家の紹介が終わる頃、ギブス夫人とウェブ夫人がそれぞれ朝食の仕度をして、仕事を終えて帰ってきたギブス医師と夫人との会話などで典型的なあわただしい朝の風景が描かれ、昼になると夫人同士の庭先での会話、学校帰りのエミリー(ウェブ家の長女)とジョージ(ギブス家の長男)の会話など一日の経過が断片的に並べられている。やがて夜になってジョージとエミリーの宿題に取り組む姿、ギブス夫人とウェブ夫人とソームズ夫人による立ち話、夜の巡回をする巡査と仕事から帰ってきたウェブ編集長との会話など何気ない風景が続くが、夜空に美しく輝く月光、それに見とれている人々、こおろぎの鳴き声などところどころに日常を超越したものを感じさせる場面を挿入し、どこか統一ある世界を描き出そうとしている。
ソーントン・ワイルダーの演劇は、舞台上の虚構を単なる虚構として表現するのではなく、その内側に多くの人が興味を持って共感できる題材を選び、人生の断片を描くことによってワイルダーによれば「儀礼的で祭礼的な要素を伴う」まで高揚感を出し、大多数の人間の心に訴えかけることに重点を置いた。目の前で俳優が演じることで出来事が現在進行形で表わされて劇に活力を生み出すが、その内容は常識の逸脱するものではない。ただし、『わが町』では理想的な語りを舞台監督に託しているが、心から心への思想の伝達は単なる説明から神話の次元まで達するので想像的な語りは不可欠としている。
『わが町』は、第一巻「日常生活」、第二巻「恋愛と結婚」、第三巻「死」から成り、平凡な町に住む平凡な人々の人生を、ギブス医師の家とウェブ編集長の家に焦点をあてて描いている。第一幕は「幕なし。装置なし」で始まり、観客の見ている前で舞台監督がテーブル、椅子といった最小限の小道具類を必要に応じて配置する。そして、日の出前のグローヴァーズ・コーナーズの様子を語り始め、ギブス家とウェブ家の紹介が終わる頃、ギブス夫人とウェブ夫人がそれぞれ朝食の仕度をして、...