われわれは情報化社会といわれる時代に生きている。日本のちょうど裏にあるブラジルとの衛星テレビ中継をリアルタイムで見ることができるように、世界中の点と点とを結ぶ時間と距離は、いまや無くなっている。それにともなって、われわれの「日本語」は世界共通語といわれる「英語」に侵されつつあるように思う。私は以前に手紙の代筆を頼まれた。しかし、私は参考書なしには手紙を書くことができなかった。日本語の手紙はまず前文があって、主文、そして後付けにきてようやく自分の名前がくる。前文ひとつ取ってみても、「拝啓」などの「頭語」、それから「時候の挨拶」、「安否を問い、繁栄を喜ぶ言葉」、「平素お世話になっているお礼」と順番が決まっており、非常に細かいルールがある。一方E-mailはまず自分の名前を出して、要件から切り出す。私にとっては後者の方が当たり前なのである。このように、日本語の急速な変化がみられるなか、はたして日本語は将来も存続していくことが可能なのだろうか。
言語にはふたつの層があると考えられる。下位の層には「語彙・文法構文のルール」すなわちsyntax、「上位の層には文化や思考様式」すなわちinertiaである。日本語のinertiaは「以心伝心」であり「察し」である。
相手が口ごもったら「都合が悪いんだな」「気が進まないんだな」と素早く察して(気持ヲ汲ンデ)別の提案をしたほうがよい。それが気ヲキカセタ、気ノキイタ対応で、「自分を相手の立場に置く心」の発揮です。(芳賀 70頁)
映画『男はつらいよ』の主人公、寅さんは、アメリカではプロポーズするのもことわるのもハッキリ口で言わなければいけないと聞かされて「へーえ、不器用なやつらだねえ」と呆れます。「オレだったら目で言っちゃう。あなたのこと愛してます。向こうも目で答えるな、アタシあなたのこと好きになれませんの。また目で答える、わかりました。黙ってさるな」(芳賀 70頁)
われわれは情報化社会といわれる時代に生きている。日本のちょうど裏にあるブラジルとの衛星テレビ中継をリアルタイムで見ることができるように、世界中の点と点とを結ぶ時間と距離は、いまや無くなっている。それにともなって、われわれの「日本語」は世界共通語といわれる「英語」に侵されつつあるように思う。私は以前に手紙の代筆を頼まれた。しかし、私は参考書なしには手紙を書くことができなかった。日本語の手紙はまず前文があって、主文、そして後付けにきてようやく自分の名前がくる。前文ひとつ取ってみても、「拝啓」などの「頭語」、それから「時候の挨拶」、「安否を問い、繁栄を喜ぶ言葉」、「平素お世話になっているお礼」と順番が決まっており、非常に細かいルールがある。一方E-mailはまず自分の名前を出して、要件から切り出す。私にとっては後者の方が当たり前なのである。このように、日本語の急速な変化がみられるなか、はたして日本語は将来も存続していくことが可能なのだろうか。
言語にはふたつの層があると考えられる。下位の層には「語彙・文法構文のルール」すなわちsyntax、「上位の層には文化や思考様式」すなわちinertia...