仏教改宗以前のアショーカ王
アショーカ王の生涯を知るためには、王が磨崖や石柱に刻ませた法勅が最も重要な史料であるが、内容がとても限られている。したがって、宗教文献に伝えられるアショーカ王の伝説に頼らざるをえないのである。ヒンドゥー教やジャイナ教の文献の大部分は王の名前を載せる程度であり、あまり役に立たない。これに対して仏教徒は、アショーカ王を護法の英主として称えて、王にまつわる数多くの伝説を伝えてきた。現存するアショーカ王伝説は、『阿育王伝』、『阿育王経』に代表される北方伝承と、パーリ語で書かれたスリランカの史書『島史』、『大史』などに収められた南方伝承の2つに大きく分けられている。
アショーカ王は、ビンドゥサーラ王の多数の王子のうちの1人として生まれた。北方伝承によると、アショーカ王の母はガンジス川下流の都市チャンパーのバラモン家の娘であったという。この母と王との間に、やがてもう1人ヴィータショーカという名の王子が生まれた。アショーカ王とは、サンスクリット語で「憂いのない者」、ヴィータショーカとは「憂いの除かれた者」という意味なのである。両王子が生まれたときに母には憂いがなかった...