理系学部の学生という性質上、どうしても科学について書かねばならないと思ったので記す。
「科学」の意味は違えとも、結局のところ、理系である私が目指さねばならない「科学」も哲学上の「科学」の中に含まれるであろう。文系でも「科学」を扱うことには変わりはないだろうが、理系とあれば扱う「科学」は「自然科学」だ。
哲学上の「科学」もそうであるが、「自然科学」は常に理論による塗り壁を必要とする、というよりは「自然科学」自体が理論の集合体で、「自然科学」は「自然科学」によって構成されていると感じる。積もる所、「自然科学」をいくら掘り返そうとも「自然科学」しか現れない。つまり、某「自然科学」の理論の原因を探れば、それもまた「自然科学」の理論にたどり着くだけに過ぎない。そのような学問であるから仕方ないのだが、堂々巡りに感じることがしばしばある。特に、アインシュタインの相対性理論などを学ぶと、事実の物理学者の中にも人間である限り極限の究明はできない、などとおっしゃる方もいるくらいだ。ここが理系の不安になるところであり、欠点でもある。「自然科学」を進めるものである限り、この点からは逃れられないのであろうか。
哲学入門レポート
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理系学部の学生という性質上、どうしても科学について書かねばならないと思ったので
記す。
「科学」の意味は違えとも、結局のところ、理系である私が目指さねばならない「科学」
も哲学上の「科学」の中に含まれるであろう。文系でも「科学」を扱うことには変わりは
ないだろうが、理系とあれば扱う「科学」は「自然科学」だ。
哲学上の「科学」もそうであるが、「自然科学」は常に理論による塗り壁を必要とする、
というよりは「自然科学」自体が理論の集合体で、「自然科学」は「自然科学」によって構
成されていると感じる。積もる所、「自然科学」をいくら掘り返そうとも「自然科学」しか
現れない。つまり、某「自然科学」の理論の原因を探れば、それもまた「自然科学」の理
論にたどり着くだけに過ぎない。そのような学問であるから仕方ないのだが、堂々巡りに
感じることがしばしばある。特に、アインシュタインの相対性理論などを学ぶと、事実の
物理学者の中にも人間である限り極限の究明はできない、などとおっしゃる方もいるく...