近年、善悪の判断が曖昧になってきている。その証拠と言うべきか、犯罪は低年齢化し、少年法も改正するか、しないかという議論も活発に行われている。しかし、曖昧になった反面、それを問題視する傾向も強く見られる。その良い例は「DEATH NOTE」という漫画である。この漫画は、「週間少年ジャンプ」で現在連載されているものであり、この善悪の判断を考えさせるのにふさわしい漫画である。ストーリーは以下のようなものである。
「主人公、八神が死神と契約を交わし、「DEATH NOTE」というそのノートに顔と名前が一致する人間の名前を書けば人を殺すことが出来ると言うノートを手に入れ、世界を平和に導く為に、悪人(主に犯罪者など)を証拠を残さず殺していく。一方、警察側にいる竜崎はそれを良くないことと思い、顔の見えない敵、つまり八神を捕まえようと奮闘する。」
さて、この二人はどちらが正しいことをしているのだろうか。八神は「悪人を殺す」、一方、竜崎は「悪人を助ける」という行動をしている。どちらも正義であり、そして悪である。このような複雑な善悪の判断をさせる漫画を、「週間少年ジャンプ」という少年誌(購買層の5割以上は小中学生)で連載しているという所からも、私達は、善悪について深く考えなければならなくなってきているのではないだろうか。そして、「週間少年ジャンプ」でこのような漫画を連載する理由をより深く考えなければならないのではないだろうか。冒頭でも述べたように、近年の犯罪の低年齢化も、この「善悪の曖昧さ」が原因となっていると言っても過言ではないだろう。つまり、社会全体の緩みが犯罪へと発展していくのである。この「善悪の曖昧さ」を無くすことが出来れば犯罪の減少、社会秩序の安定をもたらす可能性も期待できる。善悪の判断の基準をつけるという行為は、それだけ大きな意味をなすのだ。
近年、善悪の判断が曖昧になってきている。その証拠と言うべきか、犯罪は低年齢化し、少年法も改正するか、しないかという議論も活発に行われている。しかし、曖昧になった反面、それを問題視する傾向も強く見られる。その良い例は「DEATH NOTE」という漫画である。この漫画は、「週間少年ジャンプ」で現在連載されているものであり、この善悪の判断を考えさせるのにふさわしい漫画である。ストーリーは以下のようなものである。
「主人公、八神が死神と契約を交わし、「DEATH NOTE」というそのノートに顔と名前が一致する人間の名前を書けば人を殺すことが出来ると言うノートを手に入れ、世界を平和に導く為に、悪人(主に犯罪者など)を証拠を残さず殺していく。一方、警察側にいる竜崎はそれを良くないことと思い、顔の見えない敵、つまり八神を捕まえようと奮闘する。」
さて、この二人はどちらが正しいことをしているのだろうか。八神は「悪人を殺す」、一方、竜崎は「悪人を助ける」という行動をしている。どちらも正義であり、そして悪である。このような複雑な善悪の判断をさせる漫画を、「週間少年ジャンプ」という少年誌(購買層の5割以上は...
つまり、自分による主張が見えないということである。漫画ではこうしているというのは分かる。しかし、だからこうすべきであると言ったモノが書かれていない。
最終的にレポートなのに”だろうか”というような読者に訴えかける文章を書いているようでは、レポート及び論文とは言えない。作文と論文の違いは、客観的に見ても絶対にそうである。といえる事がらを用いて最終的にこうすべきであるという自分の意見を述べるものである。作文は、”だと思う”や”だろうか”でも通るが、論文は違う。作文と論文をはき違えないで貰いたい。
偉そうなことを言ったけど、自分はどうなのだと言われれば私もこの文章と大して変わらないレベルのものしか書けないと思う。どうか、ここでこの野郎よくも俺の評価を落としてくれたな!と怒るよりも、勉強させて貰いましたという心を取って欲しい。最後にあえてこの文章を評価するのであれば10段階中、4~5というのが私の意見。