ソクラテスが登場してきた時代背景において、明らかに「個人自己主張」が見られる。しかし、ソクラテス、プラトン、アリストテレスによって非難的意味で語られたソフィストの自己否定が欠けている自己主張のための自己主張、つまり、ときとして論点をすりかえることによって自己を正当化する論法、ソクラテスの主張する何事も自ら吟味判断する主体的自己とはまったく異なるものである。
ソクラテスのパイディア(教育)の目的はドクサ(俗見)を洗い流し、青年の内面から知恵と得を芽生えさせることである。教師としてのソクラテスの活動は、アテナイ(スパルタとならぶ古代ギリシアの強力な都市国家)市民に無知を自覚させ、有徳の市民にすることであった。その死をもって自らの真理探究の教育活動を頓挫することになるが、ソクラテス自身の死によって人類永遠の教師となったのである。しかし、ソクラテスの教育活動の問題点を挙げるならば、痛みに苛まれたとしても、誰しもが生産的な意味での真理獲得には必ずしも至らないということである。
デルフォイのアポロン神殿には「汝自身を知れ」という格言が掲げられている。この格言の“自身”とは、ソクラテスによれば...