カール・バルトとモルトマンの三位一体論について

閲覧数2,145
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    今日の私たちが聖書の中に見出すことのできる三位一体論の解釈に通じる箇所は、主要なものとして二つある。マタイ28:19「彼らに父と子と聖霊の名によって」と?コリント13:14においてである。しかしこれらの成句が三位一体の教理を産み出したのではない。
    ではいかにして私たちは三位一体の神を知ることが出来るのであろうか。「イエスは主なり」という根本的信仰告白 から出発するカール・バルトと「復活したキリストは十字架に付けられたイエスである」という根本的信仰告白から三位一体論を展開するユルゲン・モルトマンの二人の命題を概観し、三位一体論を考察する。

    バルトの三位一体論

    「神は主として御自身を啓示するということ・・・したがって、聖書を通して証言されていることを、われわれは『三位一体の根』と呼ぶ」 。
    バルトは三位一体論の根拠を聖書的証言へと根拠付けるが、それは「神の言葉」としての聖書である。「聖書がまことに(wirklich)啓示について証しする〔時、その〕ことによって、聖書のことばは神の言葉である。」 聖書的証言は神の言葉として、私たちに語りかけ、そして神御自身を啓示するのである。それが「イエスが主なり」という信仰告白の意味であり、三位一体論である。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    カール・バルトとモルトマンの三位一体論について                

    今日の私たちが聖書の中に見出すことのできる三位一体論の解釈に通じる箇所は、主要なものとして二つある。マタイ28:19「彼らに父と子と聖霊の名によって」とⅡコリント13:14においてである。しかしこれらの成句が三位一体の教理を産み出したのではない。
    ではいかにして私たちは三位一体の神を知ることが出来るのであろうか。「イエスは主なり」という根本的信仰告白 から出発するカール・バルトと「復活したキリストは十字架に付けられたイエスである」という根本的信仰告白から三位一体論を展開するユルゲン・モルトマンの二人の命題を概観し、三位一体論を考察する。
    バルトの三位一体論
    「神は主として御自身を啓示するということ・・・したがって、聖書を通して証言されていることを、われわれは『三位一体の根』と呼ぶ」 。
    バルトは三位一体論の根拠を聖書的証言へと根拠付けるが、それは「神の言葉」としての聖書である。「聖書がまことに(wirklich)啓示について証しする〔時、その〕ことによって、聖書のことばは神の言葉である。」 聖書的証言は...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。