中央アジアの現状と未来について

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    中央アジアの現状と未来について
                               
    まず現在中央アジアといわれる地域は、カザフスタン、クルグズスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの5カ国に中国の新彊ウイグル自治区およびその周辺地区を加えたものをいう。中央アジアのことをトルキスタンと呼ぶこともあり、これはペルシャ語で、Türk(シベリアからバルカン半島でトゥルク語を母語とする民族)の土地という意味である。トルキスタンという名称を使う場合は、世界の屋根と呼ばれるパミール高原を境に、西と東に分けることができる。西は上記の5カ国で、東は中国の一部である新彊ウイグル自治区をはじめとした地域である。西側は元ソ連の支配下であり、ソ連が崩壊したあと、人為的に国境線がひかれたものである。東は清→中華民国→中華人民共和国と他民族からの支配を受け続け、その後ソ連から支援を受けて東トルキスタン共和国を二度立てたが、すぐにどちらも消滅した。
    9世紀から12世紀にかけてイスラーム化した中央アジアでは、それまではゾロアスター教やキリスト教などさまざまな宗教が存在したが、次第にこれらの宗教からイスラーム法を基盤とする社会システムが生まれた。その後ロシアが勢力を南下させてきたため、次第にロシア正教が勢力を拡大してきた。その後のソ連崩壊以降、中央アジアはイスラム復興という形で、国ごとに温度差はあったものの大きな変化を遂げることができた。中央アジアのイスラーム復興で最も重要なことはイスラム神秘主義であり、このことについてはまた後ほど詳しく触れようと思う。
    先でも述べたとおり、中央アジアでは歴史の中でさまざまな宗教が勢力を持っていた。ウズベキスタンを例に挙げると、スキタイ民族が支配していたころはシャーマニズムが、アケメネス朝ペルシャが支配していたころはゾロアスター教が、またこれは私も驚いたが、仏教も誕生してまもなくからこの地方に浸透していったようだ。よくよく思えば中央アジアといえばシルクロード、インドから日本に仏教が伝わるためには避けて通れない場所であり、仏教が浸透するのもいわば自然なながれである。その後はイスラームを受け入れ、またロシアに支配され1917年からは無神論が強要されたりしたこともあったが、ソビエト崩壊後は独立国家として、イスラーム教が再び勢力を持っている。
    中央アジアのイスラームについて語る際に避けては通れない、先ほども述べたイスラム神秘主義についてここで述べようと思う。イスラーム宗教に基づく法体系であるシャリーアが、ウラマーと呼ばれる知識人たちによって形式化されたことを嫌った。イスラーム神秘主義者たちのことをスーフィと呼び、イスラーム神秘主義のことをスーフィズムとも呼ぶ。スーフィズムの特徴は、禁欲的で厳しい修行を行い、白い布状の服を身に着けて一心不乱に回る回旋舞踊を行い、形式だけの信仰ではなく、内面から浄化していくことを目的として、神と一体化すること(ファナー)を目的とした。12世紀からはタリーカが出現し始めた。タリーカとは導師であるシャイフが指導する教団組織であり、これはスーフィとして道を究めた聖人を祖としている。これらの聖者たちはイスラーム神秘主義社会ではとても神聖視されており、中央アジアにさまざまに点在する聖者の墓(マザール)には、信じられないほど多数の巡礼者が巡礼にきている。授業のビデオでも見たが、聖者の墓はほとんど砂漠地帯のようなところに多く、無宗教の日本人からみれば非常に異様な光景であったのはいうまでもない。
    中央アジアには砂漠が多い。

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    中央アジアの現状と未来について
                               
    まず現在中央アジアといわれる地域は、カザフスタン、クルグズスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの5カ国に中国の新彊ウイグル自治区およびその周辺地区を加えたものをいう。中央アジアのことをトルキスタンと呼ぶこともあり、これはペルシャ語で、Türk(シベリアからバルカン半島でトゥルク語を母語とする民族)の土地という意味である。トルキスタンという名称を使う場合は、世界の屋根と呼ばれるパミール高原を境に、西と東に分けることができる。西は上記の5カ国で、東は中国の一部である新彊ウイグル自治区をはじめとした地域である。西側は元ソ連の支配下であり、ソ連が崩壊したあと、人為的に国境線がひかれたものである。東は清→中華民国→中華人民共和国と他民族からの支配を受け続け、その後ソ連から支援を受けて東トルキスタン共和国を二度立てたが、すぐにどちらも消滅した。
    9世紀から12世紀にかけてイスラーム化した中央アジアでは、それまではゾロアスター教やキリスト教などさまざまな宗教が存在したが、次第にこれらの宗教からイ...

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