人の能力を論ずるにあたって、まず民法上の人とは、自然人と法人に大別されるから、まず、自然人の能力についてのべたいと思う。
民法上の自然人の能力には、権利能力、意思能力、行為能力がある。
第一に、権利能力について論ずる。
権利能力とは、私法上の権利・義務の帰属主体となる地位・資格をいい、すべての自然人は生まれてから死ぬまで常に権利能力を有するという権利能力平等の原則が存在する。この原則は個人が封建的身分制から解放されたことを意味する。すなわち、かつての奴隷のように私権の主体となりえない者は存在しない。また、権利能力は出生したときに始まる。この出生とは、胎児が生きて母体から完全に分離する場合ということが通説である。その理由は基準は明確であることが望ましく、私法上権利の主体たりうるためには、独立の存在であることが必要だからである。では、胎児は権利能力を有するのであろうか。このことについて、胎児はまだ出生していないので、権利能力を有しないのが原則である。しかし、やがて人となることが予想されながら、生まれるのがわずかに遅いという単なる偶然によって一切の権利を否定されるというのは均衡を失する。そこで民法は特定の場合にのみ、胎児も出生したものと「みなす」ことにして、例外的に胎児の権利能力を肯定し、胎児の保護を図っている。その場合とは、?不法行為に基づく損害賠償請求?相続?遺贈の3つである。
民法には胎児を認知できる旨の規定もあるが、これは父の側から認知することを認めたもので、胎児側からの認知請求を認めたものではないので、権利能力の例外ではない。それでは出生したものと「みなす」の意味について考えてみる。
しかし、それでは、胎児の間に、母が胎児を代理して損害賠償請求や示談・遺産分割などをすることができるかが胎児の法律上の地位と関連して問題になる。
人の能力を論ずるにあたって、まず民法上の人とは、自然人と法人に大別されるから、まず、自然人の能力についてのべたいと思う。
民法上の自然人の能力には、権利能力、意思能力、行為能力がある。
第一に、権利能力について論ずる。
権利能力とは、私法上の権利・義務の帰属主体となる地位・資格をいい、すべての自然人は生まれてから死ぬまで常に権利能力を有するという権利能力平等の原則が存在する。この原則は個人が封建的身分制から解放されたことを意味する。すなわち、かつての奴隷のように私権の主体となりえない者は存在しない。また、権利能力は出生したときに始まる。この出生とは、胎児が生きて母体から完全に分離する場合ということが通説である。その理由は基準は明確であることが望ましく、私法上権利の主体たりうるためには、独立の存在であることが必要だからである。では、胎児は権利能力を有するのであろうか。このことについて、胎児はまだ出生していないので、権利能力を有しないのが原則である。しかし、やがて人となることが予想されながら、生まれるのがわずかに遅いという単なる偶然によって一切の権利を否定されるというのは均衡を失する。そこ...