強姦目的で自動車に乗せられたものの、被害者自身そのことに気がつかないまま犯行現場まで連れて行かれたという事案において、被害者の車内での監禁に対する認識の可否について、「自己が監禁されていることを意識する必要はない」としたうえで、「被告人らが被害者らの脱出を困難ならしめるような積極的な方法を講じていないとしても、また被害者らが被告人らの意図に気づかず降車を要求していなかったとしても、被告人らの行為が監禁罪に該当することは明らか」と判示して、監禁罪の成立を認め?説の可能的自由説に立った。
刑法課題 「監禁罪の保護法益~結果無価値と行為無価値の観点から~」
監禁罪の保護法益が「身体の場所的移動の自由」であるということは異論がないところである。
問題は、監禁罪が成立するためには、客体である被害者が自由を拘束されていることを意識することを要するかという点である。本罪の保護法益が人の身体的活動の「自由」であるところから、その意義について①現実的自由とする説と②可能的(潜在的)自由とする説とが対立している。
監禁という結果が惹起された結果「自由」が侵害されたと解する①説は結果無価値の考え方となじみやすく、また、客体である被害者が仮に「自由の侵害」を認識していずとも、監禁という行為態様自体非難されるべきだという②説の考え方は行為無価値に傾きやすい。
①説によると、「行動の自由は行動の意思を前提するが故に、行動の意思なき者は本罪の客体たり得ない。又、行動の自由は行動を為し得る者に於いてのみ存在するが故に、行動不可能の状態に在る者は、本罪の客体となり得ない」(木村亀二・刑法各論)。
一方の②説によると、「もし被害者に自由剥...