南満洲鉄道株式会社について

閲覧数1,267
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    南満洲鉄道株式会社(満鉄)について
    『満鉄「満洲」の巨人』(西澤秦彦、河出書房新社、2000年)
    南満洲鉄道株式会社(満鉄)の誕生まで
    ~東清鉄道とポーツマス条約~
    満鉄の経営と実態
    ~鉄道附属地経営~
    南満洲鉄道株式会社(満鉄)の誕生まで
    (1)ロシア租借期~日露戦争~ポーツマス条約
    1896年:露清銀行 と清の間で東清鉄道(満洲里~綏芬河)の建設契約が締結。(☆1)
    1898年:帝政ロシアが関東州(旅順、大連)を租借し、東清鉄道南部支線(ハルピン~旅順)の敷設権獲得。
    1899年:ロシアがダーリニー(現・大連)の都市建設開始。
    1901年:東清鉄道完成
    1904年:日露戦争勃発
    1905年:ポーツマス条約、日清条約(☆2)により、長春以南の東清鉄道線が日本に譲渡されることが決定。
    (2)南満洲鉄道株式会社(満鉄)の誕生(1906年11月27日)
    ○土台としての台湾における鉄道経営
    ○半官半民の性格 …出資金は「官:民(株式)=1億:1億」←しかし、官の1億の内訳は、現金ではなく、帝政ロシアから譲渡される鉄道とそれに付属する一切の財産及び撫順と煙台の炭鉱だった。
    ○満鉄設立委員会(...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。