「ここ数年医療保障政策のまわりで何が起こっているのか」
医療政策を論じる前に、医療とはそもそもどういう財であるのかということを整理する。
Newhouse(1977)の研究以来、国際横断面分析において医療は所得に強く相関する財として考えられている。(実は私はこの医療が所得に強く相関するという考え方に対して、疑問を持っている。なぜなら、そもそもあらゆる財は所得に相関するのではないかと考えるからである。たとえば、水や食料品などは、アフリカの国よりも先進国の方が盛んに消費されるだろう。アフリカの国の方に、ニーズがあっても、所得・予算がその量を制限するためである。ゆえに、この医療が所得に相関するという論理は、別に医療に限らない当たり前の論理のような気がしてしまうからである。)
そしてそれぞれの国は、それぞれのGDP、医療のニーズに応じた医療制度を模索する。そして政治が模索した医療制度が、医療の供給体制、医療消費者の費用負担のあり方というのを決定するのである。このことについて権丈(2001)は、Newhouseの言を用いてこう述べる。
「制度は内生的要因である:医療供給の制度要因―患者による医療費自己負担のあり方、医師や病院への医療費の支払い方式、病院経営の分権・集権的性格等々―は、内省的に取り扱われるべきであり、各国は時刻の所得水準に相応しい医療制度を、自ら発見するであろう。」
特に医療という財は、消費者需要という新古典派経済学の不可侵性を否定してしまうため、とめどもない価値判断の論争に陥りやすい。そのためそれぞれの国が、それぞれの国の歴史、風土から育まれた意識による価値判断から、その自国にとって望ましいと思える医療制度を模索し、またその方法しか、それぞれの国に見合った医療制度を探す方法はないのである。
諸外国を見ると、イギリスにおいては、高齢者医療費の抑制のため、医療部門を介護部門に移すとう制度を、アメリカにおいては、民間保険会社による市場に任せた医療制度を採用している。
では日本を見てみよう。現在、日本医療政策の制度は、ひとつの大きな潮流の中にいる。
それは、長引く不況の影響から、その医療費を抑制し、効率的な医療を実現しようという制度の方向に動く潮流である。
保険外診療と保険診療を組み合わせることによる混合診療の解禁、医療費抑制に向けたケアの普及などである。そしてこうした医療の効率化に向けての流れと医療の現場との間で、何か歪みが生まれているように見える。
医療経済学においては、費用は少ないが成果のよい治療法があるのなら、それを選択していくべきだという考えがある。
医療費の抑制に向けて、イギリスにおいては医療部門を介護部門に移すという方策を採った。これは先に述べた費用対効果の良い手法を模索した結果である。
イギリスのとった方策は、簡単に述べれば、医療の現場を家庭に移すという方法である。しかし医療の現場で必要になる労力を、家計に丸投げするのではなく、地域の訪問看護士や訪問診療などを盛んにすることによって、家計における介護の負担をその他の部門で補いつつ、患者の療養などの実践の場所を家計に移すという手段である。
イギリスは、この手段によって、平均在院日数や病床数を減らし、医療費の抑制を実現しようとしたのである。
振り返って、日本においては、医療費を抑制するに当たって、医療の現場と政策決定サイドが上手くかみ合っていないようである。もちろんイギリスにおいても、大量の待機患者という独自な問題が存在する。
しかし医療費の抑制を達成しようとしたと
「ここ数年医療保障政策のまわりで何が起こっているのか」
医療政策を論じる前に、医療とはそもそもどういう財であるのかということを整理する。
Newhouse(1977)の研究以来、国際横断面分析において医療は所得に強く相関する財として考えられている。(実は私はこの医療が所得に強く相関するという考え方に対して、疑問を持っている。なぜなら、そもそもあらゆる財は所得に相関するのではないかと考えるからである。たとえば、水や食料品などは、アフリカの国よりも先進国の方が盛んに消費されるだろう。アフリカの国の方に、ニーズがあっても、所得・予算がその量を制限するためである。ゆえに、この医療が所得に相関するという論理は、別に医療に限らない当たり前の論理のような気がしてしまうからである。)
そしてそれぞれの国は、それぞれのGDP、医療のニーズに応じた医療制度を模索する。そして政治が模索した医療制度が、医療の供給体制、医療消費者の費用負担のあり方というのを決定するのである。このことについて権丈(2001)は、Newhouseの言を用いてこう述べる。
「制度は内生的要因である:医療供給の制度要因―患者による医療...