本レポートでは、イランのマジッド・マジディ監督作品『太陽は、ぼくの瞳』(99年)を分析する。
あらすじは以下のようになる。
テヘランの全寮制の盲学校に通うモハマドは、夏休みに故郷の農村に帰り自然の中で楽しく過ごしていたが、父親は、再婚するためにやむなくモハメドを盲目の木工細工師に預けてしまう。しかし、心労で祖母が死にそれに伴い再婚話も破談になり、父は悲しみに打ちのめされる。その後、モハマドを連れ戻すが、その途中モハマドは荒れ狂う川に落ちてしまう。父は息子を助けるため川に飛び込むが海まで流されてしまい、息子は既に息が無い。悲しむ父親が息子を抱き寄せると、奇跡が起こり息子の手がかすかに動く。
本作は、都市を舞台にすることの多いマジディとしては珍しく、砂漠の国という一般的なイランのイメージからは想像できないような緑豊かな農村を舞台にしている。しかし、あらすじを読めば判るように、農村を舞台にした素朴で温かい映画とは言い難い。しばしば一歩引いたカットで映し出される農村の明るい色調は、モハマドがそこでの暮らしを満喫しながらそれを見ることが出来ないという残酷な現実を突きつける。マジディの作品は一貫...