明治初期における近代化と伝統指向の相克とは、開明派と復古派の間で教育をめぐってなされた対立のことである。開明派とは、伊藤博文、井上毅などに代表される官僚であり、明治初期から、文明開化の教育思想に基づいて教育の近代化を進めてきた人たちのことである。対する、復古派とは、元田永孚などの近世以来の伝統的教育を担ってきた漢字・儒学者たちのことである。
なぜ、対立が起こったのか。それは、明治維新以降の社会情勢を調べればわかることである。その時代に、教育の近代化を進める官僚たちは、西欧諸国の教育の内容・方法・制度を教育界に積極的に取り入れていた。しかし、それは民衆の実生活とあまりにもかけ離れていたため、民衆の就学拒否や、小学校の打ちこわし事件など、多くの問題が起こった。そのため、見直しが迫られていた。一方、政府は、当時活発になりつつあった自由民権運動に対して、どのように対応するかという問題に迫られていた。自由民権運動とは、民衆の中に起こった政治運動のことで、薩摩・長州藩出身者が中枢を占めていた専制政治に対し、国会開設による民衆の政治参加を切り開こうとするものである。この自由民権運動は、教育界にも...