教科書に示されている二つの日渤交渉ルート。一つは新羅の沿岸をたどるルート。もう一つは渤海国から直接日本に行くルート。なぜ同じ教科書なのにこうも違ってしまうのか。これから考証していく。
そもそも渤海国とは、698年に大祚栄が中国東北部、朝鮮北部あたりに建国した多種民族国家である。ニ代目武王の時、北で黒水靺鞨、南で新羅や唐と対立する。紛争が終わると唐とは回復関係を築き、黒水靺鞨は渤海の支配下に入る。しかし新羅とは対立関係が続き警戒心を強めた。それにより日本と友好関係を結ぶ。それは新羅に対抗する軍事同盟と言ってもいい。このころから渤海は日本と交易をし始めるのだ。日本史上遣唐使はとても有名で、渤海使(...