環境とゴミの問題

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    環 境 と ゴ ミ の 問 題
    私達の生活環境の悪化と、ゴミの処分が大きな社会問題に成っています。ここでは 地球規模の環境問題ではなく、地域の問題としての生活環境とゴミの問題を、社会や企業や個人の 意識や姿勢の面から見てみたいと思います。現在の所、この生活環境とゴミの問題の解決の出口は 見えてきません。問題の存在は明白ですが、問題の解決方法は提案されていません。問題の末葉の 事についての議論は多くありますが、問題の根幹についての議論は多くはありません。根幹にまで 溯って議論をしないと、有効な解決策は出てきません。しかし、根幹の議論をすると、いまの社会 や企業や個人の在り方を大きく変更することになります。 一例としてダイオイシン、テトラクロルエタン、トリクロルエタン、フロン、トリハロメタン、 PVC(ビニール)、PCB、BHC、DDT には一つの共通項が在ります。それは塩素です。塩素は食塩の電気分解から作られます。日本では 年間約800万トンの食塩が電気分解され、その重量の40%のナトリュウムが苛性ソーダに、その 重量の60%が塩素として発生します。塩素はどちらかと言えば副産物ですが、安価であることと 化学的な活性が高いため、多くの化学製品の製造に使われています。しかし、毎年4~5百万トンの塩素が 製品となり、いずれはゴミとして何らかの形で廃棄されます。苛性ソーダの需要がある限り、塩素は 発生し続けます。塩素ガスやその化学製品は安価で便利で有用ですが、多くの物は生物にとって極めて有害 で、しかも変化し難く何時までも生活環境周辺にばらまかれていて生活環境の悪化の大問題になっています。 今の社会秩序の中では、この問題の解決の出口はなかなか見付かりません。末葉の議論では堂々巡り になるだけです。社会と企業と個人が根幹の段階から議論して解決策を見出す必要があるのです。 この様な問題は他の多くの物質にも存在します。石油や石炭の中の硫黄(サルファー)、石油の中の アスファルト、石炭の燃え殻の灰、金属精錬からのスラグや副産物等原材料からの精製過程や使用 過程で発生する所謂”カス”等は所詮、海や地上や空中に排出されます。 精製品ですら遅かれ早かれ廃ガス、廃棄物、廃水となって同じように排出されます。 ゴミの処分場所の議論が盛んになされています。廃棄物の処分は経済活動の負の活動になります。 陽のあたる生産活動に必ず付いてまわる陰の活動です。ゴミ問題の解決策のキーワードの一つは ゴミやカスの量を減らすことです。しかも、経済活動や生活水準を破壊的に下げることなく、社会や 企業や個人の意識や姿勢を変えることによって、それらの量を減らす必要があるのです。そうしないと 自分たちの世代や子や孫の世代の生活環境やゴミの問題に関しての展望が開けません。
    そのための社会や企業や個人の意識や姿勢のいくつか (記述順序はランダムです。)
    ・高度成長時代の初期の耐久消費財は次々と個人住宅の中に収まって ゴミ問題は出ませんでした。しかし一通りのものが揃った今では、物を買えばところてん式に 以前のものがゴミとして排出されてきます。ゴミを出さないためには今あるものを何時までも 使うことです。
    ・故障をしたら修理して、修理して、修理して何時までも使うことです。 メーカーはそれで経営が成り立つような体制を作る必要があります。部品も7年とか5年とか 制限せず、図面があるのだから新しく作って供給する必要があります。
    ・メーカーは廃棄された製品の回収の責任をもつ必要があります。製品を出荷する 動脈だ

    資料の原本内容

    環 境 と ゴ ミ の 問 題
    私達の生活環境の悪化と、ゴミの処分が大きな社会問題に成っています。ここでは 地球規模の環境問題ではなく、地域の問題としての生活環境とゴミの問題を、社会や企業や個人の 意識や姿勢の面から見てみたいと思います。現在の所、この生活環境とゴミの問題の解決の出口は 見えてきません。問題の存在は明白ですが、問題の解決方法は提案されていません。問題の末葉の 事についての議論は多くありますが、問題の根幹についての議論は多くはありません。根幹にまで 溯って議論をしないと、有効な解決策は出てきません。しかし、根幹の議論をすると、いまの社会 や企業や個人の在り方を大きく変更することになります。 一例としてダイオイシン、テトラクロルエタン、トリクロルエタン、フロン、トリハロメタン、 PVC(ビニール)、PCB、BHC、DDT には一つの共通項が在ります。それは塩素です。塩素は食塩の電気分解から作られます。日本では 年間約800万トンの食塩が電気分解され、その重量の40%のナトリュウムが苛性ソーダに、その 重量の60%が塩素として発生します。塩素はどちらかと言えば副産物ですが、安価であることと 化学的な活性が高いため、多くの化学製品の製造に使われています。しかし、毎年4~5百万トンの塩素が 製品となり、いずれはゴミとして何らかの形で廃棄されます。苛性ソーダの需要がある限り、塩素は 発生し続けます。塩素ガスやその化学製品は安価で便利で有用ですが、多くの物は生物にとって極めて有害 で、しかも変化し難く何時までも生活環境周辺にばらまかれていて生活環境の悪化の大問題になっています。 今の社会秩序の中では、この問題の解決の出口はなかなか見付かりません。末葉の議論では堂々巡り になるだけです。社会と企業と個人が根幹の段階から議論して解決策を見出す必要があるのです。 この様な問題は他の多くの物質にも存在します。石油や石炭の中の硫黄(サルファー)、石油の中の アスファルト、石炭の燃え殻の灰、金属精錬からのスラグや副産物等原材料からの精製過程や使用 過程で発生する所謂”カス”等は所詮、海や地上や空中に排出されます。 精製品ですら遅かれ早かれ廃ガス、廃棄物、廃水となって同じように排出されます。 ゴミの処分場所の議論が盛んになされています。廃棄物の処分は経済活動の負の活動になります。 陽のあたる生産活動に必ず付いてまわる陰の活動です。ゴミ問題の解決策のキーワードの一つは ゴミやカスの量を減らすことです。しかも、経済活動や生活水準を破壊的に下げることなく、社会や 企業や個人の意識や姿勢を変えることによって、それらの量を減らす必要があるのです。そうしないと 自分たちの世代や子や孫の世代の生活環境やゴミの問題に関しての展望が開けません。
    そのための社会や企業や個人の意識や姿勢のいくつか (記述順序はランダムです。)
    ・高度成長時代の初期の耐久消費財は次々と個人住宅の中に収まって ゴミ問題は出ませんでした。しかし一通りのものが揃った今では、物を買えばところてん式に 以前のものがゴミとして排出されてきます。ゴミを出さないためには今あるものを何時までも 使うことです。
    ・故障をしたら修理して、修理して、修理して何時までも使うことです。 メーカーはそれで経営が成り立つような体制を作る必要があります。部品も7年とか5年とか 制限せず、図面があるのだから新しく作って供給する必要があります。
    ・メーカーは廃棄された製品の回収の責任をもつ必要があります。製品を出荷する 動脈だけではなく、回収する静脈のルートを用意すると共に、環境に影響を与えないような 肺臓や肝臓の役目を持つ処理体制を持つ必要があります。
    ・そのために製品の高価格化は社会も個人も容認する必要があります。孫や子の 時代までを考慮すれば全体の社会コストは反って低下するのではないでしょうか。生活水準も反って 豊かになる可能性もあるし、精神的には必ず豊かになるのではないでしょうか。
    ・小学校や中学校の教科の中に設備や装置や機器や器具を正しく取り扱ったり 維持管理したり修理したりすることを教える時間をしっかりと入れる必要があります。社会人に なってあまり必要の無い記憶中心の教科を削って入れ替える必要があります。その教科を教える ことの出来る教師を広く産業界から招聘することも必要です。
    ・ビルや住宅の更新の時、日本では全部壊して新築する例が多いのですが 大量のゴミが発生します。出来るだけ内部の改装ですませば費用も小さく、街並みも保てます。 ヨーロッパの都市でこの様な現場をよく見ます。市街地の土地区画整理では住宅の大量の立て替えが なされますが、これが大量のゴミの発生をもたらしています。
    ・デンマークには世界的なビールメーカーがあり、日本でもその銘柄は缶でも売られて います。デンマークでは缶入りビールはありません。日本で缶入り飲料をなくすことは、今の状況では 非常に困難ですが、社会と企業と個人の意識が変わればデンマークのように出来、生活環境とゴミの 問題の解決に寄与します。
    ・地域や親類や友人間で物の融通をしあって今ある物を有効に使うようにすることが 必要です。一部では行われていますが、今の日本では中古品に対する心理的な抵抗があります。 これには故障や性能に漠然とした不安がある他に、新しいものに対する憧れのようなものがあるようです。 しかし、古いものも十分に使用出来るし、古いものの方が優れているときも多くあります。世代により 不要品と必要品が変化してきます。少なくとも親兄弟子供の間では積極的に物の授受して、今あるものを 世代を超えて長く使用する必要があります。
    ・ゴミ問題に於いて、処分の仕方や処分場の議論は勿論大切で、目先の問題解決のために は、しっかりと議論しなければなりません。しかし、目先に捕らわれていたのではこの問題の将来展望は 開けません。ゴミを出さない、ゴミを作らない、不要品を資源として完全にリサイクルする社会秩序を コストが掛かっても作り上げるように、社会と企業と個人の意識と姿勢を変え、それを実行するように する必要があります。
    情報提供先→  http://www.nanzan-u.ac.jp/~matunaga/community98/com76008/kato/gomi.html

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