『科学革命の構造』との出会い

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    資料紹介

    『科学革命の構造』との出会い
    一 自分史の中の『科学革命の構造』
     個人的な回想から始めたい。  指折り数えてみると、筆者がT・クーンの『科学革命の構造』 (1) を読んだ のは今から四半世紀も前になる。その頃、筆者は、国立大学の工学部で実験研究に携わっていた。 研究テーマは、放射化学radiochemistryという専門分野の中のトピック「放射壊変に伴う原子・分子 のイオン化」であった。すなわち、原子核の内部から、例えばβ線(電子)が放出された場合(放射 壊変)、ショックでその原子核を含んでいる原子・分子の外殻電子が多数放出され、原子・分子がイ オン化されるという現象を実験的に検証しようというのであった。  1価ないし2価のイオン(外殻電子が1個あるいは2個なくなった状態)というのは通常の物理化 学的反応でもみられるのだが、放射壊変に伴って多価イオンが生成される点が特に興味深かったので ある。市販の質量分析計という分析・測定装置を改良して測定に供していた。イオン化された原子・ 分子を電気的に加速した上で、磁気的に弁別し、イオン価数毎に発生頻度をカウントするわけである 。工学的応用可能性の小さい、むしろ基礎科学的なテーマであった。実験材料として放射性物質を取 り扱う関係から頻繁に実験はできないので、文献研究とディスカッションが中心の自由な雰囲気の研 究チームだった。筆者は研究チームの中で周辺的な位置にいたこともあって、時間的にも余裕があっ た。そんな中で『科学革命の構造』に出会ったのである。  当時、科学史や科学論に関しては全くの独学だった筆者がどのような経緯なりきっかけで『科学革 命の構造』を手にすることになったのか今となっては思い出すすべもない。しかし、この書物を一読 して、科学者が研究室でやっていることは「パラダイムに基づく通常科学だ」というクーンの主張が心 底から納得できた。「目から鱗が落ちる」とはこのような経験を言うのだろう。筆者は「科学とは何 か」に関してそれまで読んできた書物に感じていた隔靴掻痒の思いをようやく晴らすことができたの である。さらに言えば、書物で論ぜられている科学研究/科学者と自身が間近に見、体験しているそ れらとの間のギャップを埋めることができたのである。  というのも、放射壊変に伴う多価イオン化に関しては、アメリカで画期的な先行研究が存在してお り(すなわち「パラダイム」)、この研究に関心をもった教授の指示のもとに助手をリーダーとする 数名の研究チームが編成されて右のような研究が行われていたのである。筆者は、たまたまこのチー ムに加わったのであった。先行研究と全く同じ研究をするのは「業績」として評価されないから無意 味だが、放射性物質の種類を変えれば立派な研究となる(すなわち「通常科学」)。パラダイム=見 本例があるといっても、公表された論文だけを手がかりにして、実験装置を組み立て、微量の放射性 物質から生成しているはずの極微量のイオンを収集・加速・弁別して測定するのは非常に困難な作業 であったが、その困難さへの挑戦が同時に研究の醍醐味でもあった--多くのパズルがしばしば人を 夢中にさせるように。「通常科学はパズル解きである」とのクーンの分析に目から鱗が落ちる思いを した、と述べた所以である。  このような『科学革命の構造』との出会いが大きな転機となって、筆者は科学研究の現場から離れ て、科学についての研究、すなわちメタ科学=科学論の世界へと向かうことになった。
    二 『科学革命の構造』と科学社会学
     当然のこと

    資料の原本内容

    『科学革命の構造』との出会い
    一 自分史の中の『科学革命の構造』
     個人的な回想から始めたい。  指折り数えてみると、筆者がT・クーンの『科学革命の構造』 (1) を読んだ のは今から四半世紀も前になる。その頃、筆者は、国立大学の工学部で実験研究に携わっていた。 研究テーマは、放射化学radiochemistryという専門分野の中のトピック「放射壊変に伴う原子・分子 のイオン化」であった。すなわち、原子核の内部から、例えばβ線(電子)が放出された場合(放射 壊変)、ショックでその原子核を含んでいる原子・分子の外殻電子が多数放出され、原子・分子がイ オン化されるという現象を実験的に検証しようというのであった。  1価ないし2価のイオン(外殻電子が1個あるいは2個なくなった状態)というのは通常の物理化 学的反応でもみられるのだが、放射壊変に伴って多価イオンが生成される点が特に興味深かったので ある。市販の質量分析計という分析・測定装置を改良して測定に供していた。イオン化された原子・ 分子を電気的に加速した上で、磁気的に弁別し、イオン価数毎に発生頻度をカウントするわけである 。工学的応用可能性の小さい、むしろ基礎科学的なテーマであった。実験材料として放射性物質を取 り扱う関係から頻繁に実験はできないので、文献研究とディスカッションが中心の自由な雰囲気の研 究チームだった。筆者は研究チームの中で周辺的な位置にいたこともあって、時間的にも余裕があっ た。そんな中で『科学革命の構造』に出会ったのである。  当時、科学史や科学論に関しては全くの独学だった筆者がどのような経緯なりきっかけで『科学革 命の構造』を手にすることになったのか今となっては思い出すすべもない。しかし、この書物を一読 して、科学者が研究室でやっていることは「パラダイムに基づく通常科学だ」というクーンの主張が心 底から納得できた。「目から鱗が落ちる」とはこのような経験を言うのだろう。筆者は「科学とは何 か」に関してそれまで読んできた書物に感じていた隔靴掻痒の思いをようやく晴らすことができたの である。さらに言えば、書物で論ぜられている科学研究/科学者と自身が間近に見、体験しているそ れらとの間のギャップを埋めることができたのである。  というのも、放射壊変に伴う多価イオン化に関しては、アメリカで画期的な先行研究が存在してお り(すなわち「パラダイム」)、この研究に関心をもった教授の指示のもとに助手をリーダーとする 数名の研究チームが編成されて右のような研究が行われていたのである。筆者は、たまたまこのチー ムに加わったのであった。先行研究と全く同じ研究をするのは「業績」として評価されないから無意 味だが、放射性物質の種類を変えれば立派な研究となる(すなわち「通常科学」)。パラダイム=見 本例があるといっても、公表された論文だけを手がかりにして、実験装置を組み立て、微量の放射性 物質から生成しているはずの極微量のイオンを収集・加速・弁別して測定するのは非常に困難な作業 であったが、その困難さへの挑戦が同時に研究の醍醐味でもあった--多くのパズルがしばしば人を 夢中にさせるように。「通常科学はパズル解きである」とのクーンの分析に目から鱗が落ちる思いを した、と述べた所以である。  このような『科学革命の構造』との出会いが大きな転機となって、筆者は科学研究の現場から離れ て、科学についての研究、すなわちメタ科学=科学論の世界へと向かうことになった。
    二 『科学革命の構造』と科学社会学
     当然のこととはいえ、科学論を専攻するようになった筆者にとって『科学革命の構造』はその後も 一貫して、発想と考察の源泉であり続けてきた。筆者は研究を開始した当初から、科学という営みの 中で占めている科学者集団scientific communityの重要性に気付き、科学を社会学的に捉えようとす る「科学社会学」sociology of scienceの手法と成果に着目してきた。そのような問題意識の形成に あたっては、アメリカの社会学者R・K・マートンの諸論考 (2) とともにクー ンの『科学革命の構造』からの強い影響があったのである。筆者は科学者集団にクーンがどの程度着 目しているかを検討するために、『科学革命の構造』の中でこの語が何回くらい用いられているかを、 十年ばかり前、当時流行し始めたばかりのパーソナル・コンピュータを用いて検索・集計したことが ある。その結果、クーンは最終章「革命を通しての進歩」や一九六二年の初版出版後の論議を踏まえ て一九六九年に書かれた「補章」で「科学者集団」という語を多用していることが明らかになった (3) 。それだけでなく、クーンは「補章」の最初の部分で「本書を書き直すな ら、科学者の集団構造の議論から始めることになるだろう。このトピックは最近、社会学的研究の重 要な問題となり、科学史家も真剣に取り上げはじめるようになっている」と明言しているのである (4) 。科学史家も真剣に取り上げるべき科学社会学的研究とはどのようなもの だろうか。以下に瞥見してみよう。  個々の科学者・研究者は、その研究を自分の知的好奇心にのみ基づいて遂行していると素朴に思い 込んでいる場合が多い。実際、筆者の属した研究チームの面々もそうだったように記憶している。 しかし、少し考えてみれば自明なように、研究テーマの設定は個々の科学者・研究者が属している 研究室laboratoryの、研究所や大学の、あるいは研究領域や専門分野specialty, disciplineの、 そして科学者集団全体の、さらに科学研究を取りまくより広い社会の、さまざまな利害関心interests や物質的諸条件material settings(利用可能な研究費、実験装置、研究マンパワーなど)によっ て規定されている。そのような利害関心や物質的諸条件を前提にして、次々に新しい具体的な研究 テーマ=パズルを提起し、通常科学を推進する駆動力となっているのが「一般に認められた科学的 業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与える」パラダイムに他ならない (5) 。  しかし、特定の科学者集団に帰属し、そこで共有されているパラダイムにそくしてパズル解きに 専念していると、通常科学の連続的・累積的展開に目を奪われて、科学研究の基盤ないし前提とな っている利害関心や物質的諸条件は見えてこない。当然にも、科学研究の現場ではパズル解きに専 念することが要求されるからである。パズル解きに専念することは、それ自体知的にスリリングな ことだし、何よりもうまくいけば多くのご褒美にありつくことができる。すなわち、個々の科学者 および研究チームは、研究成果すなわち論文の公表を通じて、科学者集団内部での認知を獲得する ことによって、研究費や有能な研究マンパワーの獲得、ノーベル賞に代表される各種の科学賞の受 賞、所属機関内での昇進、さらには一般的・社会的名声等々といったさまざまな報奨rewardsにあ りつくことができる (6) 。しかも、報奨は偏在して累積する傾向がある-- これを聖書のエピソードににちなんで「マタイ効果」と呼ぶ (7) 。逆に、パ ズル解きに専念しない科学者は、不熱心なあるいは無能な人物として研究仲間から次第に疎んぜら れるようになり、科学者集団から脱落者の烙印を捺されかねない--「歌を忘れたカナリアは後ろ の山に捨てる」しかないのである。多くの組織・人間集団は、報奨と処罰のメカニズムを巧みに活 用することによって組織を維持し活性化しているが、科学者集団もその例外ではないのである。  このようにして、「パラダイムを共有する科学者集団が通常科学を遂行する」という具合に互い に循環的に定義される、パラダイム-通常科学-科学者集団という三つの基本概念を手がかりに、 科学という営みをリアルに説得的に論じたクーンの『科学革命の構造』は、マートンらによって先 鞭をつけられていた科学社会学に新しい観点を持ち込み、その結果、一九七○年代以降、科学社会 学は多様な展開をみせるに至ったのである (8) 。
    三 実践としての科学、ローカル・ノレッジとしての科学知識
     アメリカの科学哲学者J・ラウズは『科学革命の構造』には二つの読み方があると論じている (9) 。一つの読み方は、科学哲学者の多くがそのように理解し、また批判 の対象としたクーンである。ラウズはこのクーンをクーン2と呼ぶ。もう一つの読み方は、ラウ ズが強調する読み方から浮かび上がってくるラディカルなクーンであり、クーン1と呼ばれる。  クーン2は、科学の歩みを「パラダイムの形成-通常科学-変則事例の出現-危機(複数のパ ラダイム候補の混在)-新しいパラダイムの形成-通常科学」という循環的なプロセスと捉える。 書名にもなっている科学革命とは、古いパラダイムから新しいパラダイムへの転換、すなわちパ ラダイム・チェンジということになる。そして、新旧二つのパラダイムは、いわば「異なった世 界」であり、同一の基準に照らして優劣をつけることはできない(共軛不可能incommensurable) 。しかし、実際には、科学者集団によってパラダイムの選択は行われてきたのであり、全体とし て科学は進歩してきた(前述したように『科学革命の構造』の最終章はいみじくも「革命を通 しての進歩」と題されている)。多くの科学哲学者たちは、パラダイムが共軛不可能であるとす るクーン2の主張に噛みついて、クーン(正確にはクーン2...

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