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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─11(2003) J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
科学と教養教育
北 村 正 直
*
北海道大学名誉教授
Science in Liberal Education
Masanao Kitamura
*
Hokkaido University, Professor Emeritus
1. はじめに
「今日の焦眉の課題の一つは人類の文化の中での科
学の位置づけである。」これは科学史,科学哲学の分
野でのリーダーの一人であるハーバード大学のホル
トン教授が最近の著書“Einstein, History, and Other
Passions”(Holton 1997)の序文において最初に記した
言葉である。アメリカでは70年代頃より人文学,社
会学の分野で科学批判が強まってきた。しかし,この
批判は非科学的傾向から更に反科学,反理性的な様
相をもつようになってきた。このような傾向を彼は
憂慮し彼は93年に“Science and Anti-science”(Holton
1993)を著し,この問題を取り上げていた。ここでは
更に科学に対する批判を広く取り上げアメリカの大
学における一般学生の科学教育の問題点と共に論じ
ている。
実は彼はすでに60年代に欧米の知識階級の間に在
る科学に対する批判的な傾向に気付いていた(Holton
1964)。彼は後になって当時の傾向を“Romantic
Rebellion”と呼んでいる。この科学批判の一つは,現
代科学に対する感情的な不満から発しているものであ
る。このような批判者は非常に深く科学を理解しては
いるが,現代科学の新しい概念は感情的に受け入れ難
いようであった。彼等の言い分を一言でまとめると
「中世には,人々は有機的な世界像があり,哲学者も
文学者もそれが“理解”できた。しかし,現代の科学
は自然の微小な各構成部分について調べ,全体につい
ては扱おうとしない。その結果,科学は人類から生き
Abstract─We are living in a weird period, a postmodern era, where any established, objective knowl-
edge is denied and replaced by subjective opinion, even a scientific theory is labeled as a social con-
struct. In this paper we try to trace the origin of such queer ideas and examine the prevailing claims
presented by some proponents, and conflicts between them and their critics, mostly from science. Fi-
nally, science in liberal education for the new era is discussed, since such ideas have permeated science
and mathematics education throughout the world, including Japan, and it is increasingly
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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─11(2003) J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
科学と教養教育
北 村 正 直
*
北海道大学名誉教授
Science in Liberal Education
Masanao Kitamura
*
Hokkaido University, Professor Emeritus
1. はじめに
「今日の焦眉の課題の一つは人類の文化の中での科
学の位置づけである。」これは科学史,科学哲学の分
野でのリーダーの一人であるハーバード大学のホル
トン教授が最近の著書“Einstein, History, and Other
Passions”(Holton 1997)の序文において最初に記した
言葉である。アメリカでは70年代頃より人文学,社
会学の分野で科学批判が強まってきた。しかし,この
批判は非科学的傾向から更に反科学,反理性的な様
相をもつようになってきた。このような傾向を彼は
憂慮し彼は93年に“Science and Anti-science”(Holton
1993)を著し,この問題を取り上げていた。ここでは
更に科学に対する批判を広く取り上げアメリカの大
学における一般学生の科学教育の問題点と共に論じ
ている。
実は彼はすでに60年代に欧米の知識階級の間に在
る科学に対する批判的な傾向に気付いていた(Holton
1964)。彼は後になって当時の傾向を“Romantic
Rebellion”と呼んでいる。この科学批判の一つは,現
代科学に対する感情的な不満から発しているものであ
る。このような批判者は非常に深く科学を理解しては
いるが,現代科学の新しい概念は感情的に受け入れ難
いようであった。彼等の言い分を一言でまとめると
「中世には,人々は有機的な世界像があり,哲学者も
文学者もそれが“理解”できた。しかし,現代の科学
は自然の微小な各構成部分について調べ,全体につい
ては扱おうとしない。その結果,科学は人類から生き
Abstract─We are living in a weird period, a postmodern era, where any established, objective knowl-
edge is denied and replaced by subjective opinion, even a scientific theory is labeled as a social con-
struct. In this paper we try to trace the origin of such queer ideas and examine the prevailing claims
presented by some proponents, and conflicts between them and their critics, mostly from science. Fi-
nally, science in liberal education for the new era is discussed, since such ideas have permeated science
and mathematics education throughout the world, including Japan, and it is increasingly getting diffi-
cult to present a well-balanced science curriculum in schools and colleges.
(Revised on January 15, 2003)
*)連絡先:060-08628 札幌市北区北13条西8丁目 北海道大学高等工学研究科知識メディアラボラトリー
**)Correspondence: Meme Media Laboratory, Graduate School of Engineering, Hokkaido University, 060-8628, JAPAN
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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─ 11(2003) J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
生きとした自然を,そして自然についての夢
(imagination)を奪ってしまった。」と言えるであろう。
彼等にとり現代科学は現象を説明せんとして,常識や
人間の直感を離れて,無責任な観念の世界に踏み込ん
でしまったと映ったのであろう。我々は,このような
科学に対する不満の典型的な例をアーサー・ケスラー
(Arther Koestler)の“The Sleepwalkers(夢遊病者た
ち)”(Koestler 1964)と,エドウィン・バートの“The
Metaphysical Foundation of Modern Physical Science(現
代物理的科学の形而上学的基礎)”(Burtt 1995)に見
ることができる。しかし,彼等は現代科学に批判的で
あるが,決して反科学的ではない。“夢遊病者たち”
は実証的に調査し,ケスラー固有の流れるような文章
で綴られた素晴らしい科学歴史の読み物である。筆者
は時々この本を引っ張り出して声を出して朗読するこ
とがある。筆者は内容ばかりでなく文章も楽しみなが
ら読んでいる。“形而上学的基礎”科学に興味を持ち,
科学の内容に精通している20世紀前半の正統的哲学
者科学論であり,科学そのものの研究に携わる我々も
楽しめる有益な哲学書である。特に大学において一般
教育科目を担当する科学者にとっては文系学生の求め
るところを知るのに役に立つであろう。それにもかか
わらず彼等が求める科学のあり方には違和感を感ずる
のである。伝統的な人文科学の中で育ったものには,
いかに優れた科学の理解者であろうとも近代科学には
超えることが難しい心理的障害があるのかもしれな
い。
しかし,20 世紀の終わりにホルトンが取り上げた
反科学傾向はそれ以前の科学批判とは全く異なる性
質のものである。それは現代科学の個々の学説を批
判するなどという生易しいものではない。それは科
学全体の否定であり,科学理論の真理性や客観性を
否定し,科学に不可欠な論理的思考や実証的方法そ
のものまでも積極的に否定し葬り去ろうとする思想
的,政治的運動なのである。近代社会は不公正と抑圧
の世界であり,その近代世界はルネッサンス,宗教改
革や科学革命に始まった理性,科学,論理,秩序の時
代と定義し,このような不正な近代から抜け出すの
には近代のこれらの特徴,すなわち理性,科学,論理,
秩序から開放されなければならないとこの新しい思
想家たちは主張するのである。これが脱近代主義
(Postmodernism)と呼ばれるものである。このポスト
モダンの考えが文系学者の間に広がっていることを
憂い,ホルトン教授は“Science and Anti-science”で
世界に警告を発したのである。ポストモダニズムは
人文学,社会学の分野で全米の多くの大学に広がり,
それを憂うのはホルトンだけではなく,多くの科学
者,数学者,哲学者も見過ごすことができなくなって
きたのである。バージニア大学のグロス教授(生物学)
とラトガース大学のレヴィット教授(数学)も人文
学,社会学の分野に反理性,反科学的傾向が広まり,
学問とはいえないようなでたらめな,厳密さを欠く
議論の横行に黙してはいられなくなった。彼等は“高
度の(極端な)迷信”(Gross・Levitt 1994)を著し,ポ
ストモダニスト学者の非論理的,非科学的な考えを
暴露し,痛烈に批判した。反理性,反科学的傾向と
いっても非常に多様で,一言でまとめるのは少し乱
暴であるが,この小論の中ではこの傾向を一応“ポス
トモダニズム(脱近代主義)”と呼ぶことにしよう。
“高度の迷信”の出版に対して,批判された側も
黙ってはいなかった。ポストモダニズム運動の一つ
であるカルチュラル・スタディーズというグループ
の機関誌ソシアル・テキストは1996年の春・夏合併
号を「科学戦争特集号」として,グロス,レヴィット
始め彼等に批判的な科学者へ反撃を試みた。世に言
う「サイエンス・ウオーズ」(金森 2000)の始まりで
ある。科学者の側は非常に批判的ではあるが,“戦争”
などという表現を用いるほどの考えはなかったよう
である。この特集号にニューヨーク大学のソーカル
教授は「境界線を侵犯すること ― 量子重力の変形解
釈学にむけて」という論文を寄稿した。批判しようと
している科学者の側から彼等の賛同者が現われたの
である。かくして彼の論文を掲載したソシアル・テキ
スト誌は“無事”発刊された。ところがソーカル教授
は直ちに別な雑誌リンガ・フランカにこの論文の内
容が全くでたらめなでっち上げであることを暴露し
た。ソシアル・テキストの編集者が科学を批判してい
ながら,そして科学を適当に都合の良いように引用
していながら,実際は科学については全くの無知で
あることが白日の下に曝け出されてしまったのであ
る。これが有名な“ソーカル事件(Sokal Affair また
はSokal Hoax)”(金森 2000)である。この事件につ
いては...