有間皇子挽歌卒論3

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    H・I歌には「たまきはる命は知らず」、「八千種の花は移ろふ」のような、否定表現や不安を示す表現が用いられており、現在、将来に対する不安を、松結びによって払拭しようとする構成となっている。これはD歌に用いられる「ま幸くあらば」の仮定表現も同様である。
    松を結ぶ行為によって、現状・将来の危機を回避したいとの願望が、松結びの行為に表れていると見ることができよう。有間は自らの生命の危機から救われようと、家持は生命の久しくあることと将来への不安を、松の霊力に頼ったのである。
    一方草結びではどうか。A歌はH歌と同様上二句で、生命の行く先の、人知ではどうにもならぬことを詠んでいる。しかし、「いざ結びてな」の表現に、直面する不安を読み取ることは難しい。「いざ」と周囲に呼びかける動作は、集団をひとつにまとめる力がある。心をひとつに草結びを行おうと誘いかける点で、その場の人間までも結びに同化するかのような積極性がそこに見られる。
    同様の表現は松結びのI歌にも見られたが、I歌の「われは結ばな」は、あくまで個の結びであり、そこにA歌のような他者への広がりや、それによって生まれる強い力は見られない。結びに対する...

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