映画『カンダハール』
絶望としてのアフガニスタン~循環する時間の中で~
「妹」はこの映画には存在しない。それは妹が映像として、たとえ回想の中であっても現れないという意味においてのみではない。映画内で示される「妹」という表象をもってアフガニスタンを示している、という意味においてである。社会の規範、特に女性の自由を奪うような規範に絶望し家族に死を予告する手紙を書くも、あと三日の時点でまだ助けが来ない妹は、そのまま難民や紛争など多くの問題を抱えたまま国際社会から見捨てられ続けてきたアフガニスタンのメタファーである。つまり、ゆっくり死に近づいていく妹という存在を提示することで、アフガニスタンは危機的状態にあるという主張を我々に伝えている。
この映画は「妹」を助けるための旅を主軸に据え、その軸に小さなエピソードの断片をちりばめることで構成されている。それぞれのエピソードに、当時のアフガニスタンの抱えていた諸問題が提示されている。その中で最も大きな問題はやはり、妹の死の原因ともされているジェンダーの問題であろう。「現代の西洋社会」から見れば奇妙とも言える多くの因習が描かれており、その多くは女性に対...