日本後紀からみる皇位継承問題

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    「日本後紀からみる皇位継承問題」
    ☆大同元年~弘仁元年とはどのような時代なのか?
    大同元年(806年)に平城天皇(兄)が即位するが、病弱だったこともあり、僅か3年で天皇の座を弟に譲る。
    大同五年(810年)に嵯峨天皇(弟)が即位し、元号が「弘仁元年」に改まる。二人の関係を表す出来事「薬子の変」が起きる。
    「第51代 平城天皇」幼名:安殿親王(あでしんのう)
    生没年:774年~824年7月7日
    785年 立太子(桓武天皇の皇太子になること)
    809年~824年 上皇
    天皇在位期間:806年3月17日~809年4月1日
    「第52代 嵯峨天皇」幼名:神野親王(かみのしんのう)
    生没年:786年9月7日~842年7月15日
    806年5月 立太子(平城天皇の皇太子になること)
    天皇在位期間:809年4月1日~823年4月16日
    ※注目して欲しいのは2人が桓武天皇の息子であり、平城天皇が短期間で天皇を譲ったあと、長きに渡り「上皇」として君臨していることだ。このことが下記に示す対立の原因になる。
    ☆平城と嵯峨 因縁の兄弟対決の裏側
    桓武天皇と皇后の間には、安殿親王(平城天皇)とその...

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