ミードとベネディクトの人類学
今回は「メイキング文化人類学」から、どちらもフランツ・ボアズを師に持つミードとベネディクトについて彼女たちがどのように人類学を展開して行ったかを考える。
ミードの人類学
ミードは1901年にアメリカで生まれ、大学にはいった当初は英文学を専攻していたが、コロンビア大学から出講してきたフランツ・ボアズとその助手のベネディクトに出会い、彼に感銘を受けて人類学を志す。ボアズは当時、民族による文化の違いは生物学的な要因(人種主義、優生学)ではなくそれぞれの精神生活の違いに現れるという「文化決定論」の立場をとっており、ミードもこの影響を受けている。彼女はボアズの弟子となり、彼やベネディクトの元で勉強を重ね、研究のため米領サモアで約8ヶ月調査を行い、『サモアの思春期』を著した。『サモアの思春期』では、サモアにおける思春期の少女たちがアメリカの思春期の少年少女たちに見られるような心理的葛藤や非行などが見られず、性的に奔放に成長していることを説明し、そこから教育や親子関係などを見直すことでアメリカ社において問題になっている思春期...