「火垂るの墓」から見る太平洋戦争と人々の生活
ジブリ作品「火垂るの墓」からみる太平洋戦争と人々の生活
1、はじめに
アニメーション映画「火垂るの墓」はスタジオジブリによって1988年に公開された作品である。他のジブリ作品と異なり、本作品は高畑勲監督のリアリズム志向によって戦時下の状況がデフォルメされることなく比較的リアルに描写されている為、その後のアニメーションの戦争描写に大きな影響を与えた。あらすじは以下のとおりである。
空襲警報が鳴り響く昭和20年の神戸。母を先に逃がし、4歳の妹節子と共に庭に家財を埋める14歳の清太。埋め終えた後に急いで海岸に出てみると、見慣れた町が火の海に飲まれ、見渡す限りの焼け野原になっていた。母を探していた清太は「母はケガをして病院にいる」という話を聞く。清太が会いに行くとそこには包帯でグルグル巻きにされた母の姿があった。母が亡くなったことを妹にいえないまま、西宮の小母さんの家で面倒を見てもらうことになった。ただでさえ厳しい食糧事情の中、突然増えた二人の兄妹の面倒をみなくてはならなくなった小母は「何もしないみなし児の面倒を見るのは・・・」と意地悪を言う。...