50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)のあり方を具体的に論述すること。
同和問題とは、日本社会の歴史的身分階層構造に基づく差別により日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、いちじるしく基本的人権を侵害され、市民権利、自由を完全に保障されていないという社会問題のことをさす。
【1】戦後の同和教育史
戦後の京都市における同和教育施策は、同和地区児童
・生徒の長欠・不就学問題の克服からスタートされた。オールロマンス事件当時、同和地区の長欠児童・生徒の比率が、小学校で6.5%(京都市0.6%)、中学校では、28.7%(京都市2.8%)であった。この数値から同和地区の子どもたちの教育を受けるための環境が劣悪だったことが分かる。
同年、部落解放委員会京都府連合会はオールロマンス差別事件糾弾要項で、同和地区児童・生徒の「不就学児童を無くする対策を即時たてること」を同和教育行政における最重要課題と位置づけた。これをうけ京都市は「今後の同和施策運営要綱」を策定し、これにもとづいて戦後初めての同和教育費...