第Ⅰセメスター基礎教養1

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    資料紹介

    資料の原本内容

    2008/07/16提出

    精神医学の世界を学んで
    Shimone Weil の中で述べられている事柄を、Franklの言葉を用いて言うと、Collective Neurosis(集団神経症)の状態である。Collective Neurosis になった者は、運命主義や狂信に陥ったり、大衆の中に自己を埋没させるたりすることによって、自分の人生からの問い・要求に応答する義務(responsibility)や選択の自由(freedom)からの逃避を図るのである。つまり、この結果として実存的空虚に現代の人間が置かれることとなる。集団的思考が物の状態の人間を生み出すとはこのようなことである。

    Franklが思考の名に値するような思考をするために重要だと論じていることを数点挙げる。まず初めに、人間は「人生からいったい何が得られるのか。」ということを期待するのではなく、「自分が人生に何を求められているのか。」というように考えなければならない。さまざまな場面で人間は自分の人生から問いかけられ、また要求されているのである。これに耳を傾けひとつひとつに応答していくことによって、個人の命を超えたいのち(life)への応答ができるようになる。第二に、自分の人生に意味を与える方法としてcreative value(創造価値)、experiential value(経験価値)、attitudinal value(態度価値)がある。創造価値とは自分に与えられたtaskを前向きにこなしていくことによって達成され、経験価値は真・善・美を感じることによって達成される。しかしこのような二つの価値が達成できないような苦境におかれたときに、その苦境を受け入れて乗り越えようとすることが態度価値であり、これこそが三つの中で最も優れた価値である。運命や避けることのできない苦境を受け入れ、立ち向かうことは経験価値や創造価値に勝るものであり、自分自身の人生に意味を与えるものとなるのである。

    つまり、集団神経症のような状態に陥らず、ものではなく人として思考するために大切なのは、自分の置かれた状況下で、まぬがれえぬ三重の悲劇(pain・death・guilt)に自分なりにどのように応答していくべきかということを考え、実際に責任を持って応答していくこと(responsibility)である。三重の悲劇のように、絶対に避けられない苦境から逃亡してはいけない。(attitudinal value)人生からの問いかけ・要望に答えられるように自分なりに積極的に思考し、行動すること(to answer to life by answering to his life)が求められているのである。

    以上のようなことをこころがけてはじめて、人間は人間としてあり、思考することができるとFranklはこの文章の中で述べていると解釈できる。

    水曜日4限 世界の思想

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