日本近代史は、一般的に幕末から昭和の戦争終了までの時代を指すが、日本の国家史において大きな転機になった時代といえる。中でも政治的・産業的・文化的に大変革のあった明治という時代が、どのようなものであったか、この時代と深く関わった2人の人物を、西南戦争を通してみていきたい。
1873年、西郷隆盛が、特権剥奪された旧士族たちの不満を外に向けるために、征韓論を主張するも、大久保利通らの反対にあい政府を去る。このとき明治天皇は自立的な判断を下してはおらず
「明治天皇・乃木希典−日本・近代史」
日本近代史は、一般的に幕末から昭和の戦争終了までの時代を指すが、日本の国家史において大きな転機になった時代といえる。中でも政治的・産業的・文化的に大変革のあった明治という時代が、どのようなものであったか、この時代と深く関わった2人の人物を、西南戦争を通してみていきたい。
1873年、西郷隆盛が、特権剥奪された旧士族たちの不満を外に向けるために、征韓論を主張するも、大久保利通らの反対にあい政府を去る。このとき明治天皇は自立的な判断を下してはおらず、あくまでも岩倉方の意見を強制されている。西郷の辞職後、近衛兵将校が次々と辞職し、西郷に殉じるものはあっても、天皇に忠誠を誓うものは居なかった。
1877年西郷隆盛は西南戦争を起こす。先の政府分裂の際、近衛兵を引き止められずに示唆を舐めたが、なお西郷に信頼を寄せていた。26歳を迎えていた天皇の心には西郷を思いやる気持ちがあり、西郷との直接対決をさけようとしたとされる。
時を同じくして、長州出身の乃木は、第十四連隊長として、西郷率いる薩摩軍と激戦の中にいた。この戦いにおいて乃木の人生を左右する出来事が起...