わが国の戦後の社会福祉制度はGHQ(連合国軍総司令部)の指導のもとで、生活困窮者の救済から始まった。1945年8月、第二次世界大戦終了とともに敗戦国となり、食料、住宅等あらゆる生活物資が不足し国民の日常生活の維持が困難な状況に加え、戦災孤児、浮浪者、復員軍人、海外引揚者、失業者等の生活能力を失った人々の困窮の問題も深刻であった。そうした状況下、最低限度の国民の生活の支えることが、当時の日本における社会福祉の第一義的課題となった。そして、GHQの指示により暫定的ではあったが、生活困窮者への緊急措置として「生活困窮者緊急生活援護要綱」が作成された。内容的には施設収容、生活必要品給与、食料品補給物資の配給であった。さらにGHQは、1946年2月日本政府に対して基本的な公的扶助の原則として「社会救済に関する覚書」を提示した。その内容とは「国家責任の原則」「無差別平等の原則」「最低生活保障の原則」であり公的扶助3原則であった。この3原則が後に日本の社会福祉を方向づけることになる。 1946年10月、日本政府は「(旧)生活保護法」を制定した。同年、日本国憲法が公布された後、第25条「生存権」の...