やまと絵の定義の変容についてまとめなさい。
平安時代前期、東寺食堂千手観音像の納入品である檜扇に描かれていた墨絵、樹木と飛鳥、下草などを点々と描いた小画には、やまと絵につながるやわらびた画趣がみられる。
奈良時代から平安前期にかけて、日本の絵画は中国の絵画表現に強い影響下にあった。しかし、平安時代後期になると、唐代絵画の模範・学習によって得られた技法や表現の中から日本的な心情に馴染むものが選択され、次第に唐画の直模から離れて、細やかな描写を目指し始めた。このような和様表現は、目に親しい日本の景物を大画面に描く、やまと絵の展開が大きく関わっていた。天喜元年に完成した、平等院○○堂の扉絵・壁画には、来迎諸尊の背景として四季の風物が魅力的に描かれ、11世紀半ばのやまと絵大画面の構成と、四季の情趣への細やかさを感じられる。
9世紀末から11世紀にかけて流行した屏風歌は、日本の名所や四季・月次の風物を描く屏風絵に対して詠まれた和歌であるが、このようなやまと言葉は、ともに細やかで身近な情趣の表現媒体として、その表現を深めていく。このような日本の風物を大画面に描くものを、当時やまと絵と呼び...