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明治時代の京都を詠った詩人と作品を取り上げ、どのように詠ったのか具体的に述べよ。
明治二年(1868)年、江戸は東京と改められた。京都では遷都反対運動があったが、最後には首都の座を東京に明け渡す結果となった。遷都によって公家や役人が東上するのに伴って、商人たちも京都を離れ人口は激減した。さまざまな分野で致命的な凋落の危機を迎えていた。しかし、京都の人たちは、京都が時代に遅れた古都として取り残されることを嫌い、伝統都市の継承と変革こそが京都の人たちの課題であり、積極的に取り組んだいった。本リポートでは、明治時代の京都において生み出された数々の文学作品の中で、特に詩人とその作品を取り上げて、どのように京都を詠ったのか具体的に述べていく。
はじめに、高安月郊(1869-1944)とその作品「落瓦賦」について述べていく。月郊は大阪市瓦町で六代続いた医科の家に生まれた。母の野絵は京都の南朝の遺臣の家系の出であり、その影響もあり月郊も京都に強い関心を持っていた。また父も母も大の芝居好きだったことも後の月郊に影響している。
兄の死によって家業を継ぐことになった月郊は、13歳で医学修業のた...