超俗の詩人と呼ばれる陶淵明は、『桃花源記』で身分の差のないユートピアを描き、『挽歌詩』においては自らの死を悼むなど、中国では他に例をみない虚構の世界を通して内面を探求し、苛酷な実社会と関わろうとした反俗の詩人でもあった。1600年前に現代に通じる鋭さと深さで人生をうたった大詩人に,親しく作品を読み込みながら肉迫する。この本では、『桃花源記』、『五柳先生伝』、『形影神』、『山海経を読む・閑情の賦』、『挽歌詩』などの決して長いものでない文章を取り上げ、原文と試訳を並べ、関連する先人の詩文などにも簡単にふれつつ、ざっくりと読んで行ける。また、この本では陶淵明を単に「超俗の詩人」とする伝統的解釈にあきたらず、著者は詩人が虚構の世界に対して強い興味と関心を抱いていた理由はいったい何だろうかという問いをたてた。
陶淵明(365--427)、また陶潜と呼ばれる。若いときに、生活のために何度も官史の職についたが、これらの職が全て長続けなかった。彼は堅苦しい役人生活には耐えられず、辞して帰郷し、以後2度と官職につかなかった。田園での清貧な生活は陶淵明の作品の重要な題材となった。そのため、彼も「田園詩人」と呼ばれるようになった。その作品に対する第1の評価が田園詩のジャンルにあることは論を待たない。江南の好風景の中、世俗に背を向け、いわゆる「晴耕雨読」の生き様を気高く詠う詩は、中国人が本来持つ隠遁思想の体現として高い評価を得てきた。しかしそれは、こんにちのように社会の一線を退いたものが、安穏とした悠々自適の生活を謳歌して詠んだものではな
『陶淵明』について
超俗の詩人と呼ばれる陶淵明は、『桃花源記』で身分の差のないユートピアを描き、『挽歌詩』においては自らの死を悼むなど、中国では他に例をみない虚構の世界を通して内面を探求し、苛酷な実社会と関わろうとした反俗の詩人でもあった。1600年前に現代に通じる鋭さと深さで人生をうたった大詩人に,親しく作品を読み込みながら肉迫する。この本では、『桃花源記』、『五柳先生伝』、『形影神』、『山海経を読む・閑情の賦』、『挽歌詩』などの決して長いものでない文章を取り上げ、原文と試訳を並べ、関連する先人の詩文などにも簡単にふれつつ、ざっくりと読んで行ける。また、この本では陶淵明を単に「超俗の詩人」とする伝統的解釈にあきたらず、著者は詩人が虚構の世界に対して強い興味と関心を抱いていた理由はいったい何だろうかという問いをたてた。
陶淵明(365--427)、また陶潜と呼ばれる。若いときに、生活のために何度も官史の職についたが、これらの職が全て長続けなかった。彼は堅苦しい役人生活には耐えられず、辞して帰郷し、以後2度と官職につかなかった。田園での清貧な生活は陶淵明の作品の重要な題材となった。そのた...