博覧会と盛り場の明治

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    基礎演習 期末レポート
    1.目的

     明治時代、近代都市空間の原型となった内国勧業博覧会が国家によってどう演出され、「いかなる意味の磁場を構成し、どのようなまなざしを生み出していったのか」(吉見、1897→2008:124)について考え、理解すること。明治国家がどのような狙いを持ち、どのような盛り場空間ができあがっていったのかを、理解すること。また明治時代前期の盛り場がどのように変容していったか社会的・外交上の要因を踏まえて考えること。
    2.内容要約

    Ⅱ章 博覧会と盛り場の明治

    (1) 原型としての博覧会

      ・明治国家と博覧会の思想

        明治国家は明治6年のウィーン万国博から本格的に博覧会に参加するようになった。この博覧会で博覧会がどんなものであるのかを知り、国内で博覧会が開かれるきっかけとなった。ウィーン万国博で、博覧会とは民衆に新しいまなざしを要求する空間であることが理解された。

      ・博覧会の舞台としての「上野」

        江戸時代、上野は主要街道からはずれた位置にあり、周囲から隔たった台地であった。そこに寛永二(1625)年江戸城の鬼門の鎮護寺である東叡山寛永寺...

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