韓国の伝統的な仮面劇「タルチュム」の表現を演出に用いたブレヒト『肝っ玉おっ母』上演を観劇した所感を糸口に、タルチュムの持つ風刺的な喜劇性とブレヒトの異化効果との共通性、また一方が他方の表現を、また解釈をより深める可能性を探る。韓国の常民が求めたカタルシスの場と、ナチスドイツ妄信への反動から観客が冷静に見つめるための演劇を求めたブレヒトの表現が重なる領域についての思考。
風刺の仮面劇、タルチュムの由来と未来について
〜ブレヒト上演への応用の可能性〜
一般に、伝統的な仮面劇といえば、神や霊が活躍するような、異次元における非等身大の存在によるドラマを連想することが多い。
韓国のタルチュムには、神が登場しない。現れるのは人間たちで、わずかに得体の知れない聖獣が、異次元の世界を暗示するにすぎない。そこに登場するのは、支配層である両班(ヤンパン)と、仏に仕える僧侶、そして常民(サンミン)など、みな身近な存在である。
その主人公たちは、救いようのない、批判されるべき人物像を抱えている。支配層の仮面にはまともな形がひとつもなく、顔も眼も鼻も口も、デフォルメされている。...