公民科のあゆみ

閲覧数1,737
ダウンロード数8
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    戦前の日本には社会科という名称の教科は存在していなかった。日本の近代学校制度を最初に法制化したのが「学制」とそれに基づく「小学教則」であった。地理の分野で「地学大意」や「地理学の大意」、歴史では「史学輪講」、公民の分野では「国体学」、「政体大意」の教科を設置した。1886年になると尋常中学校制度が成立し政治的内容を含む公民的教科は当時の自由民権運動の活発化という状況の下で、生徒を政談から遠ざけるという思惑によって全面的に廃止された。大正期に入ると「法制及経済」が必修となったこれは立憲主義の拡張と男子普通選挙制度が実施されたことの影響で公民教育が強化された。中学校のみならず勤労青年を対象とする実業補修学校でも公民教育が重視された。昭和期に入ると国家的・軍国主義的風潮は教育界にも強く浸透し地理は自国中心主義の傾向が明瞭となりはじめ、歴史においては国体や国の歴史の特殊性を掲げそれに収束させようとする教育内容が重視されるにいたった。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     戦前の日本には社会科という名称の教科は存在していなかった。日本の近代学校制度を最初に法制化したのが「学制」とそれに基づく「小学教則」であった。地理の分野で「地学大意」や「地理学の大意」、歴史では「史学輪講」、公民の分野では「国体学」、「政体大意」の教科を設置した。1886年になると尋常中学校制度が成立し政治的内容を含む公民的教科は当時の自由民権運動の活発化という状況の下で、生徒を政談から遠ざけるという思惑によって全面的に廃止された。大正期に入ると「法制及経済」が必修となったこれは立憲主義の拡張と男子普通選挙制度が実施されたことの影響で公民教育が強化された。中学校のみならず勤労青年を対象とする実業補修学校でも公民教育が重視された。昭和期に入ると国家的・軍国主義的風潮は教育界にも強く浸透し地理は自国中心主義の傾向が明瞭となりはじめ、歴史においては国体や国の歴史の特殊性を掲げそれに収束させようとする教育内容が重視されるにいたった。公民科は1943年に「中等学校令」が制定されたことにより廃止された。地理歴史の教育はますます「皇国の使命を自覚」するという目的に奉仕するものとされ、その学問的・科...

    コメント1件

    hmdai2 購入
    う〜ん
    2007/05/26 10:39 (17年6ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。