2.ビキニ事件の解説
(1)ビキニ事件について
1954年3月1日、静岡県焼津港のマグロ漁船第五福竜丸はマーシャル諸島付近で操業中、アメリカの水爆実験によって被曝した。約2週間後に福竜丸が帰港し、乗客員23名入院のニュースが知られると日本中に衝撃が走った。9月には被曝によって乗組員の久保山愛吉無線長が死亡した。
論評「核兵器と日米関係-ビキニ事件の外交処理-」
目次
1.はじめに
2.ビキニ事件の解説
3.論文のテーマ、分析視点について
4.論文の要旨
5.論文の感想
参考・引用文献
1.はじめに
本発表では論文「核兵器と日米関係-ビキニ事件の外交処理-」を読み込んだ上で、要約し、論文の感想を述べていく。
2.ビキニ事件の解説
(1)ビキニ事件について
1954年3月1日、静岡県焼津港のマグロ漁船第五福竜丸はマーシャル諸島付近で操業中、アメリカの水爆実験によって被曝した。約2週間後に福竜丸が帰港し、乗客員23名入院のニュースが知られると日本中に衝撃が走った。9月には被曝によって乗組員の久保山愛吉無線長が死亡した。
(2)事件の日米関係への影響
事件の謝罪、福竜丸本体の処理、乗組員の治療、補償金の問題をめぐって、日米間の摩擦は感情的なものにまで発展した。
アメリカ政府にとってビキニでの水爆実験は、核兵器の使用を含む大量報復の脅しによって、敵の侵略を抑止しようとする「ニュールック」戦略の成否にかかわるものであり、自由世界の力の増大のために欠かせない重要な実験であった。しかし日本人にと...